2010/01/16

みなさん,この冬は寒いですが、いかがお過ごしですか。巷では映画が話題ですね。
とくに、3D映画。grassavatar
これはメガネをかけて、おおーとか声を出して、気になる人と「新しい体験」をするのに、最適です。3D映画デートはこれからいいですよ。有名な「つり橋理論」とおなじで、数が少なくなっているお化け屋敷の変わりに、同じどきどき体験をして、仲良くなりましょう。

さて、今回から数回にわたって、この3D映画が、視聴覚体験としてどうして新しい体験なのか、について極私的な感想を中心に考えてみます。すでに、この映画を体験した人は自分の感覚を思い出して、まだの人はとりあえず「ただの3Dだろ」と思考停止にならずに、読んでいただけるとうれしいです。
※アバターの3D実現技術ですが、じつは4通りあります。そのあたりは、すばらしい比較体験レポートがあります。これから見よう、または一度見たけど期待したほどではという人には参考になります。http://bit.ly/5GhLSh

まず個人的体験から。

私は公開初日(昨年12・23)にIMAX3D方式で、座席は中央やや後ろという、3D映画を見るにはベストな環境で体験しました。ちなみに吹き替え版。これも字幕を目で追う負荷をできるだけ避けるためです。そうです。完全に映像体験のみに特化して、いわゆる映画体験とは切り離したものとして、ほとんど仕事のリサーチとして取材してきました。業界人ですねー。自分でも笑っちゃいます。

その取材の感想。まず、本編前にみた3Dの別アニメ映画の予告編で、オオーと館内で声が出ました。これは、文字が飛び出したり、ものが飛んで迫ってきたり、という典型的な立体映像への驚きです。タイトルロゴが宙に浮かんでどんどん迫ってくる。たしかに従来の映像よりもメリハリが利いています。近いもの(迫ってくるもの)に人は注意がいきます。槍や拳があなたの顔に迫ってくることがわかれば、誰だって注視して自分の身の安全を反射的に考えるものです。

ここで、熱心な業界人としては、「3Dは映像によって今まで以上に『自分ごと』化できるなぁ」と再確認します。3Dテレビがこれから普及するという話もあり、広告のクリエイティブも根本からかわりそうだ、とかもキャラメル味のポップコーンを頬張りながら思ったりします。

※「自分ごと」に関しては、二つほど前の記事も読んでください。もっと知りたかったら、こんな本もあります。

さて、映画本編をしっかり体験しました。映画自体の評価、評判はすでに莫大な量出ていますので、ここでは省略します。
リサーチとして3時間弱この映像体験をして思ったことはたくさんありますが、エンドロール(これも文字が飛び出して見える)をながめながら一部観客が拍手までしているのを、気恥ずかしく聞きながら、自問していました。

「私は2Dでこの映画を最後まで見られるだろうか」

冒頭の「飛び出す絵本」をみる驚きは、ものの5分くらいで慣れます。人間の感覚の環境適応力はすばらしい。3D映像を見ているということはすぐに忘れます。映像空間の奥行きにも慣れます。正直、ストーリーの大きな流れは前半で予想できましたし、細部のプロットは日本映画のいくつもを思い出し、それはそれでリミックスの曲を聴くような気分で楽しめたのですが、必ずしも「お話にどきどきする」という感じではありませんでした。それでも3時間弱という長さは、生来気が短く、飽きっぽい自分にしてみると、飽きずに楽しめたというのは、あきらかに3Dをふくめた映像の力だったわけです。3Dによる奥行きのある映像空間であるがゆえに、通常の映像よりも「没入感」が高かったから、というのがあたりなのでしょう。(さすがに目が疲れて3度ほどメガネをはずして目頭をもみましたが)

最新技術で、ここまでの新しい映像体験を現実にした人々の偉業はたたえなければなりません。あきらかに新しいエンターテインメントの技術を人類は手に入れたのだと、大げさですが確かに思いました。かつて、CG技術を活用して物理的には不可能な映像を錯視させることで表現の幅と人々の感情への刺激手段の幅を広げてきたこと以上の、一段上がった技術を手に入れたのだと思います。

一方で、この映像体験は私におおきなフラストレーションをもたらしました。

館内が明るくなり席を立つときになっても、飲み残しの気の抜けたコーラを飲み干しながら、考えていました。正直いって、「ブラボー、グレートジョブ」とスタンディングオベーションをする気分にはなりませんでした。逆に、なんだか腑に落ちない、居心地の悪さばかりが全身を包んでいました。その居心地の悪さの内容を、この一月ばかり考えているというのが、私の今日この頃です。

なぜこの3D体験は、居心地が悪いのだろうか。作品のせいではありません。こうしたSF映画ではない実写のしっとりした映画などを想定して3Dになったら面白いだろうなとも思いました。でも、やはり居心地が悪い。もっと正直に言うと、気持ち悪い。趣味ではない。

これは構造的なものではないか、と考えていたところ、「必要なときには必要なものが現れる」という私の独自の運のよさもあり、ヒントになる本に出会いました。それは、「映像(視覚)」と「音声(聴覚)」の分離と統合、および再統合に関する文化的な考察でした。その論点の延長から、3D映画体験の「見立て」をすることで、個人的な居心地の悪さを構造的に考えてみました。

人工的な映像と音声で現実を再現し、それをあらためて観賞すること、その「過剰同期」について。ミッキーマウシングと3D映画の関係。映像の中での立体視という「あらたな過剰同期」。ピント合わせを他者に委託するという行為。意図された空間で意図された情報に集中させる見えざる権力。新しい世紀のアメリカの力・・・。いろいろと余計なことを考え始めました。

(という予告だけで今回は終わります。続く)

2009/12/13

12月も半ばになってくると、忘年会が続いたり、クリスマスも近くて、年末進行とか、年末年始の予定立てたり、と、公私に落ち着かない日々ではありますが、そういうときこそ、浮世のすべてを忘れて、頭を空っぽにして、和みたい。そう思いませんか。そんな気分のときに私が見ているのが、テレビ番組の「お散歩もの」。といっても、芸能人がローカルを旅してレポートするものではありません。「旅もの」ではなく、「お散歩もの」。

sora

個人差はありますが、子供は高いところが好きです。塀に登ったり、木に登ったり、ジャングルジムの天辺に仁王立ちになって、誇らしく周囲を見渡したり。あなたは、家の屋根に上ったことはありませんか。高いところにいるという高揚感は、なぜか人を惹きつけます。この番組は、普段はみられない「雲の目線」から街を散歩するというものです。Google earthにみられる、「通信衛星」からの画像による、政治的軍事的な匂いのするものではなく、かといって、新聞社やテレビ局の「ヘリコプター・カメラ」のような、不安定で落ち着きのない、事件性の匂いのするものでもない。ただただ淡々と、のんびり、ゆったり、街を見下ろして視界が移動していきます。飛行船や気球からの映像を意図しているのでしょう。この、のんびり、ゆったりした時間の流れ方。これが、最近の私の「気分」です。

空の散歩。できるといいな。子供時代の夢想をおもいださせます。

近頃「お散歩もの」 が目立つようになってきました。この「空から」以外にも「ブラタモリ」。こちらは全国放送ですから、ご存知の方も多いでしょう。
お散歩ではありますが、もっと知的に、専門家と有名人が個人的なこだわりを披露しながら、街の歴史を散策するという「情報バラエティ番組」です。
「空から」とは違う存在価値を生んでいます。「空から」はあくまでも、あっあれなんだろう、という子供視点。

で、私はどっちが好きかといえば、圧倒的に「空から」。理由は簡単。和む。頭が空っぽになる。非日常。あなたはどうですか。

ところで、心理カウンセリングの世界で有名な概念に「インナーチャイルド」というものがあります。どんな大人でも、心の中に子供時代の記憶があり、それが見えない壁になって、自分の現在のものの見方や心理傾向に大きく影響している、というものです。子供のころにつらい思いをしたことが、今の世界観や人生観、自分への評価などに悪く影響を及ぼしている、という考え方です。そのため、カウンセリングでは、自分のインナーチャイルドと出会い慰めることで、自分で自分を愛せるように導いていくという手法がとられます。心の内なるコドモの存在を認めて、大事にしてあげるということですね。

大げさな話になりましたが、「空から」をながめていると、私のインナーチャイルドがほんの少しだけですが喜んでいるかも。
のんびりと、空の散歩。光の速度も、画期的な情報革命の進歩も、さまざまな社会不安も、ちっぽけに見える自分も、なにもそこにはありません。勝ち組も負け組も、もっというと、他者も人間も、なにもない。あるのは、ゆったりとした時間と非日常的な視界からみた街の風景だけ。

※注意)あ、勘違いされないように断っておきますが、私はこの番組とはまったく無関係です。一生活者として、楽しみにしているだけです。お勧めですというつもりもありません。内容に関しても過度に期待しないでくださいね。

大切な人とこの時期にいい時間を過ごしたいのであれば、この番組のような、のんびり、まったり、じんわりうれしい時間をもつのもいいのではないでしょうか。カウンセラーでなくても、観覧車に誘うことはできます。高層ビルや東京タワーの展望台へも行くことはできます。時間に追われず、子供に戻って、ゆったりとすごしてみてはどうですか。きっと、お相手の人は、その人のインナーチャイルドが慰められて、あなたに好意を持ってくれるかもしれません。

デートに人気の観覧車。その理由は、二人きりになれる誘いやすい個室だから、だけではないはずです。

あなたと、あなたのお相手の、心の中のコドモを喜ばせるクリスマスシーズンになるといいですね。

2009/12/07

他人事ではなく、自分ごとにしてもらうには、何が必要か。単純です。何か自分で行動しないといけない、という状況に追い込むことです。

yamagata

たとえば、忘年会の幹事。普通は、誰かやってくれればいいのに、私はいやだなぁ、と多くの人は思っています。それを、あなたやってくれない、と頼むのです。一方的に頼むだけでは、単なる押し付けですから、相手も乗ってこない。ならば、自分が率先してやることにして、その協力者として、お目当ての草食系男子(女子でも可)に依頼するのです。ちょっと潜在的にあなたに好意を持っている男子なら、いやな顔をしながらも、断らなかったりするでしょう。そうなれば、こっちのものです。一度引き受けたのであれば、それを言質にして、いろいろ頼んでしまうのです。これを、「巻き込み型自分ごと化作戦」と呼びます。もっともこう呼んでいるのは私だけですが。これは、付き合いたいと思う相手にあなたをしっかり意識させるためにはとっても有効な作戦なのです。
何も忘年会の幹事だけではありません。あの商品がスーパーでいくらで売られているのか知りたい。友人にプレゼントを贈らなければいけないが、その品物選びに男性の意見が聞きたい。パーティをやるけど買出し隊が足りない。なんでもいいのです。とにかく、頼む。断られないことなら、何でも頼む。遠慮してはいけません。これは『作戦』なのですから。断られたら、そこではじめて、軌道修正すればいいのです。もっと頼まれてくれることはないか、考えればいいのです。大切なのは、依頼して動いてもらうこと。相手が自主的にものを考えなければいけない状況をつくることです。

ふつう、相手に気に入ってもらおうとすると、相手が望むことをいっぱいいろいろとやってあげようとしますが、それだけでは相手の気持ちを変えることは難しいと思ったほうがいいです。とくに、付き合い始めのきっかけをつかむには、不向きです。えーっ、どうして?という人、ちょっと考えてみましょう。相手のことを思っていろいろと世話をやくこと、それは単純に言うと「サービス」です。世の中にはお金で買えるサービスも、お金で買えないサービスもありますが、サービスにはかわりがありません。相手は、王様気分、女王様気分です。サービスを一方的に、それも無償で提供してくる相手は、ありがたいと感謝はされても、気になる、大事にしたいとはなかなか思ってくれないものです。ティッシュが必要なときに、街のティッシュ配りの人にであえば、助かったとは思ったとしても、そのティッシュ配りの人のことがすごく気になったり、大事にしたいとは、なかなか思わないでしょう。逆に、突然道を尋ねられて、一生懸命に教えてあげたりしたことのほうが覚えていたりしませんか。

人は自分にサービスしてくれる人よりも、自分がしたサービス、何かをしてあげた人のほうを印象に残していたりします。サービスされたことよりも、サービスしたことのほうを大切に思いがちなのです。だから、巻き込むことが大切なのです。あんなにつくしたのにふられちゃった、というのは古典的な台詞ですが、こういう見方をすると、それは当然そうでしょう、と思えてきます。ほとんどの人にとって、一番関心があること、それは「自分」です。自覚しているかどうかは別にして世の中の人間の中で、一番情報量があって、融通が利くのは、自分なのです。だから、自分がなにをしたか、ということにひきづられるものなのです。だから、自分ごとにすると相手は動くのです。

話を戻しましょう。宴会の幹事を頼むことで、相手は幹事としての行動、意思決定をする役目に巻き込まれます。場所の候補探し、スケジュール調整、店との交渉、当日の仕切りなどなど、情報収集から参加者への働きかけなど、それなりに自主的に動かなければなりません。それをお目当ての彼氏(彼女も可)に依頼するのです。相手にとっては、自分ごとになります。自分がそれなりに行動して、意思決定をしたことに対しては、自分としては大切なことになります。こんなにつくしたのに、という人と同じ質の「自分ごと」です。自分のやったことは自分が一番意識するものですし、大切にしたいものです。このとき、あなたのスタンスについてもアドバイスがあります。たとえば、宴会の幹事の場合。一緒に幹事をしているのだから、なんでも一緒の時間を作れるわ、とは決して思わないこと。なにも時間の共有をするために、依頼をするわけではないのです。逆に、役割を決めたら、一切任せる。自分はそのパートはかかわらずに、相手に判断を含めて任せたほうがいい。そのほうが、相手は『自分ごと』として動いてくれるはずです。宴会なら、店との交渉。事前にこういう条件ということを伝えて、あとは任せる。結果だけ聞いて、感謝する。大げさなくらいに、ほめたり、感謝する。ありがとう、さすがあなたね。よかったわ、助かった、ほんとにありがとう。それだけでいいのです。相手は『自分』がしたことを全面的に肯定されて、必ずいい気分になるはずですから。

人は、一貫性を求める存在です。自分がこんなに考えて一生懸命行動したことは、自分自身で肯定したいのです。たとえ些細なことでも、誰かのために何かをしたならば、それは自分がその相手に好意を持っているのだと、思いたいものです。それが一貫性です。その特性をよく理解すれば、この「依頼型自分ごと化作戦」の本質もわかってもらえると思います。周囲で、異性に持てる人がいたら、その付き合いはじめの行動をみてください。決して、一方的に優しくつくしているだけではない筈です。相手に、いろんなことを依頼して、任せて、それを感謝したりほめたりしながら、自分のほうに巻き込んでいるはずですから。

今回は、ちょっと話が複雑になったかもしれません。でも、自分の過去の恋愛を振り返ってみてください。あなたに対してすごく優しくしてくれた人よりも、あなた自身が一生懸命つくした人のことばかりを覚えていませんか。それは、あなたが、世界中の誰よりも、あなた自身のことが好きだからです。一生懸命に相手のことを考え、相手のために行動したこと、そうした自分を肯定したいのです。依頼による、自分ごと化。恋愛を発展させていくためには、相手につくすことも、相手に優しくすることも、当然必要です。でも、相手をふりむかせ、私のことを大切に思って、というならば、サービスするだけでなく、依頼=お願いをしたほうが、実は理屈にあっているのです。クリスマス、忘年会、新年のイベントを前に、振り向かせたい相手のいる人は、すこしこのアングルから、行動を見直してみたらいかがでしょうか。お願いばかりの女性は男に媚を売っているように見えて嫌いな人もいるかもしれませんが、「依頼する」ことは、それだけで誘惑なのです。色仕掛けでなくても、相手の気持ちをとらえられます。信じますか、信じませんか。ためしに、だれかに何か依頼してみませんか。成果があればご報告ください。実は、かなり効果がある作戦だと自負しています。

では、よいクリスマスシーズンを、あなたらしい誘惑で幸せにすごしてください。

2009/11/22

ほとんどを「他人事」として処理する人を、振り向かせ好意を持ってもらうためのキーワード。それが「自分ごと」です。

akasaka2

草食系人間にとってみれば、自分の興味範囲以外のことは、多くが「他人事」。
恋愛すらも面倒だと思っている人にとって、合コンも飲み会のお誘いも、 他人事だから響かない。義理で参加したとしても、異性を風景のようにとらえて眺めているだけ。だから積極的に振舞うわけでもなく、連絡先を交換するわけでもなく、おとなしく、ニコニコしているだけだったりする。けっして、気に入った異性がほしくないわけではない。でも、風景なんだから、他人事なんだから、結局のところ、何事もなく、スルーしてしまう。そういう人の中に、けっこういい奴がいたりするから困ったものだ。あなたは、そういう草食系の異性にどうアプローチしますか?強引に迫る?確かに。でも、どうやって?すでにこういう課題に答える「草食系男子を落とす方法」という話はいたるところにたくさんありますね。書籍もネット上のブログなんかでもあるし、ちょっと食傷気味?それとも、そういったハウツー本や指南話を実践してみたけどうまくいかない?それとも、うまくいった?すでに私はその道に関しては自信があります、あっはっは、ですか?そういう人には無関係かもしれません。

ここで、ひとつだけ、草食系人間を誘惑する「突破口」を紹介することにします。たぶん、恋愛本や恋愛指南サイトには紹介されていないアプローチです。それは、相手に「自分ごと」だと思わせることです。

自分ごと?ん?なに、それ?
そう思った人は、正しい日本語教育を受けてきた人です。辞書には(まだ)記載されていないはずです。そう、この言葉は、造語です。造語の好きな広告会社の人たちが生み出し、情報のあふれた現代社会の中でコミュニケーションを成功させるためのキー概念として、最近いろいろと使い始めている言葉なのです。知っている人のほうが、少ないはずです。ちょっとへんな、でも結構使える(とおもう)言葉です。覚えておくと(考え方として)使えるかも。

簡単に説明してみましょう。
今を生きる人々は、面倒なことを避け、身の安全を優先するために、多くのこと、とくに多くの情報を「他人事」として「スルー」する生活上の技術を身につけました。これは、情報が過多になった社会をストレス少なく暮らすためには必須の技術です。いちいちたくさんの情報に反応していると体が持たないですし、第一脳もついてきません。その技術は、若い人ほどその習熟度は高くなっています。あなたも、無意識のうちに、周囲の存在をスルーし、自分とは無関係なものとして処理するようになっていませんか。街でティッシュ配りの人に声をかけられても、無視するでしょう。その人の声も、顔も、その事実すらも、情報としては脳に一片も到達することなく 、スルーしてませんか。それが「他人事」です。存在の「無視」ですね。このように、草食系の人たちは、とくに外からの「情報」に対して、他人事として処理することがフツーになっているのです。こういう人を誘惑するのに、細かいテクニックだけでは話が始まらないのです。とにかく、「情報」でプッシュプッシュしても、ティッシュ配りの人の声と同じように、スルーされてしまうのです。ではどうすればあなたの存在は無視されずに、あなたの話はスルーされずに、相手の心に響くようになるのか。そのためのキーになる概念が、「自分ごと」です。

コミュニケーションのプロである広告会社の優秀な人たちが口をそろえていっていることですから、なんらかの効果があるのだと思います。この「自分ごと」。もし、あなたが興味を持ったのでしたら、参考書はいくつか出てきています。
たとえば『「自分ごと」だと人は動く』。jibungoto
読むのが面倒だという人のために、一つだけエッセンスを教えちゃいます。相手に「体験」させることです。情報だけだとだめなんです。相手を振り回して、相手の行動を作っちゃうことなんです。デートに誘うだけでなく、なにか用事を相手に頼むのです。あなたのために相手に行動してもらうのです。あなたのために時間を使ってもらうのです。え?とおもったあなたはこのコラムをこれから楽しみにしてください。詳しくは、またあらためて。これからクリスマス、年末年始と、なにかとホットな季節です。「誘惑」というものの既成概念を超えて、実践的で、今通用する技を紹介していきます。ご期待ください。

2009/09/06

9/5のジャンクステージの第二回公演。
ふだんおつきあいのないいろんな社会に触れることができてすごく楽しかった。

ZEN1

オベラ(肉声の快感、きもちよかった)、現代書道(肉体美かっこよかった)、ミュージカル(空気を支配する迫力)、演劇(オビー大好きっ)、ロボットアート(包帯を解く姿にマッドサイエンティストのロマンが)、タンゴ(人形浄瑠璃に通じるんだなーと感心)、天文学(ご教授感謝)、一輪車(ファンが増えそう)、音楽・音響(すごく効果的で印象的)、照明(さすが)、仏師(すごいなー、実物の説得力)、・・。

参加者は、通常の「公演」とはちがうその雑多な出し物に最初はちょっととまどいながら、でもだんだんとその「異種格闘技」のようなさまざまなパフォーマンスの楽しみ方がわかったように、笑顔ですごしていた。演者を拍手で盛り上げる人たちをながめながら、これは実はすごいことかもしれないと私は思った。

ジャンクステージの価値。スタッフでさえ、言葉で説明しきれていないがたしかに存在するその「場」としての価値。それをぼんやりと南青山の初秋の窓辺で考えていた。

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ふだんから濃密で専門性の高いコミュニティの内部で活動している人たちが、一見すると、ランダムにひとつの空間に集まり、その一端を披露してくれた。それは、たくさんの「出会い」を凝縮した「お見合いパーティ」でもあった。こんなに面白いことをやっている私です。いかがですか。多くの人にとって、そうしたものの存在は知っているけど、深くかかわることのない世界であり、ひとつひとつを自分からかかわろうとすることを普段は考えもしない。偶然の出会いの集合体。雑多であり、それだけでは、ジャンク。投げ出され、散らかるだけの、宝石の群れ。

今回のイベントではそれらを「ひとつのメッセージ」として届ける仕掛けが用意されていた。

HANA1

二人の「花嫁姿の動く人形」が、この雑多な世界を有機的に整えるルールとして、物語を紡いだ。(イトウシンタロウはすばらしい物語作者だ。遅筆なところも大家の風格)冒頭から出し物の間に、白いマスクをした二人の花嫁が、妖しく、生々しく、舞い、佇む。表情と言葉のない花嫁は、舞台に浮遊感と不安感をもたらす。(花嫁姿はむかしからミステリーのキーアイコンでもありますからね)

「どれだけたくさんの人を知ったとしても、最後にはあなたはたった一人の人をえらばなければなりません」

花嫁は、唯一マスクをとった姿で演じた「劇」の中で、婚約者でもある黒子から語られる。

あなたは運命の人を探すという。でも、誰が運命の人かはわからないじゃないか。
結婚とは、運命の人を捜し当てることではなくて、この人を運命の人にしよう、と選ぶことなんだよ。
どれだけたくさんの相手がいたとしても、あなたの人生は一回限り。
どれだけたくさんの結婚をしても、あなたが選ぶのは、相手ではなく、あなたの一回限りの人生なんだ、と。

KURO1

そして、その黒子のメッセージは、イベント全体を見た人たちの心に、こんな風に届いたはずだ。
あなたはこの舞台の花嫁のように、漠然となにかをさがしつづけていませんか。 そのたった一つの人生を、好きなことに没入していている人たちがこんなにいますよ。あなたの一回限りの人生を、もっと目を開いて、熱く楽しいものにしましょうよ。

OBI1

多数の趣味生活のコミュニティがある中、人の興味・趣味嗜好は、どうしても狭いコミュニティに没入する方向に行きがちだ。 昔は「タコツボ」ともいわれた、コミュニティや仲間内の中での価値観が、人を支配しがちだ。会社員はその業界の生活に、舞台人はその生活に、アーティストはその生活に、特定の音楽ファンはその生活に。没頭するからこそ、面白く楽しいのは当然だが、それぞれは独立で、じつは息苦しいこともたくさんある。

ソーシャルネットワークサービス(SNS)が、人々の間で浸透している。日本では、mixiやモバゲーだったり。欧米では、facebookや twitterが、あたらしい関係をつくるメディアとしてすごい勢いで浸透している。(ともに小文字なのが意味深だ。大文字の権力的な存在はもういらない)人々は、どんどん他者とつながりたがっている。そして、そうすることで「社会」や「世間」のありかたがかわろうとしている。そのなかで、「コミュニティ」は無数発生し、それ自体が生命体であるカのように、インターネット空間に生息している。

その情報空間の中では、検索して「探す」ことはできる。探して、情報をとることは簡単だ。世界のすべてを知ることができるような錯覚、全能感をもってしまう人が登場するのも必然かもしれない。しかし、黒子が言うように「あなたの人生は一回限り」であり、「興味のある検索キーワード」を入力するのはあなたが探そうと思う相手「だけ」なのだ。そこに「運命の人」がみつかればいいが、どうなのだろう。

だったら、自分がかかわるコミュニティ以外の、自分の興味関心ではかかわりえない人とも「出会える場」は、あなたの世界をひろげるためにも、あなたの運命の人候補の範囲を広げるためにも、大切なのではないだろうか。

インター・コミュニティ・ネットワーク。多種多様なコミュニティを結ぶネットワーク。

それが、9月5日に青山骨董通りを終電を気にしながら歩きながら到達した、ひとつの結論。

スタッフのK君が、大変だけどめちゃくちゃ楽しいですよ、といっていたその根っこがここにあると思う。

ZENTAI2

イベントにかかわったすべての人たちに、おつかれさまでした。すごく楽しかったね。ありがとうございます。

PS. 私はJunkStageの創生期から、「コゴトじじい」として関わってきましたが、昨夜をもって終了します。 今後は一ライターとして記事をあげることだけにします。もう安心だね。代表、スタッフのみなさま。ね。

2009/08/31

8月30日の総選挙の結果は、コミュニケーションの戦略論から見て興味深い。kaisan

なぜ勝った党はここまで大勝できたのか。いろんな分析はすでに存在しているが、明らかに「誘惑」のコミュニケーションが人々の新しい行動を生んだのだ。保守党支持者の3割以上が、政党として今回勝利した党を選択したそうだ。もともと支持している政党があるにもかかわらず、今回だけは「誘惑」されたのだ。

「政権交代」という誘惑のキーワード。

以前からここで解いているように、誘惑と説得は、まったくちがったコミュニケーション戦略だ。そのちがいを理解しないまま、選挙民を「説得」しようとする人が、政治家が、多すぎる。「誘惑」は、ここではない、別のところに、一緒に行ってみようよ、と提案することなのだ。決して、理屈や論理で相手の意見を変えることではないのだ。だから、選挙行動に、マニフェストの精緻さ、論理的正しさ、は本質的には無関係であるはずだ。マニフェストの細部にわたって検討し、その不足部分に関してコメントをする識者をたくさん見かけたが、それ自体は、選挙結果には影響は微細だったろうことは予想できる。

チェンジ。

アメリカが歴史上初めて黒人大統領を選択したのと同じコンセプトに、「誘惑されたい」人々がおおかったことが、こうした結果を招いたのだというのは、多くの人が実感として持っていることだろう。

決して、私たちの党を積極的に選択したのではない。それは理解している。
そう語る党の議員がいたことに、ほっとしている。

誘惑することに長けた人が中心にいて、誘惑すること、ここじゃないところへ行こうと呼びかけることだけに集中したコミュニケーションプランナーがいて、今回の結果がある。だからこそ、思うのは、誘惑した側の責任と、誘惑された側の覚悟。前者はいうまでもなく、これから幾度となく語られるだろうから他の人に任せるが、誘惑された側、つまり国民の側にも、覚悟が必要だ。合意の上であれば、強要罪は成立しない。どこにつれていかれようとも、自分の身は自己責任である。誘惑とは、誘惑する側もどうなるかわからない世界に飛び込んでいくということ。それをとやかく言うのは、誘惑された側がすることではない。

ともに、今ここではない、未知の楽園を目指して、手を取り合って、前に進むしかない。誘惑されて、それにのってしまったのだから、一度は行くところまで行ってしまわないとね。どこへ連れてってくれるのかな。新しい彼氏、彼女はどんな素敵なデートをしてくれるのかな。わくわくしながら、明日から過ごせるといいね。

2009/06/06

「広告」の行く末

最近TIAAという広告業界団体の一つから「賞」が発表された。東京インタラクティブアドアワード。今年の正月に年賀状の出し方に新しい方法を提案した「ミクシイ年賀状」が2008年度のグランプリを受賞した。関係者にはおめでとうと手放しで祝辞を贈りたい。
ところが、この受賞に関しては、業界内で賛否あるらしい。私の見る限り、否の方は、もともとが「広告賞」なのであるから、クリエイティブという視点から選考すべきであり、その視点からみると受賞作のクリエイティブが甘い、という主張。賛の方は、審査委員のコメントに明確に語られているが、コミュニケーションの「プラットフォーム」自体を「創造した」というクリエイティビティを評価する、というもの。
筆者は個人的には、この賛否論議を面白く見ている。この「賞」の目的がどうなのか、という一団体の賞の役割と言うことではなく、「広告」のクリエイティビティの変化、すなわち「広告」に求められる「新しさ」がかわってきたなぁ、という視点で。

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インタラクティブな広告制作者

この受賞に違和感を感じる人たちは、頭に「インタラクティブ」とついているとはいえ、「広告制作」という職域を前提に、優秀な広告制作作品を選ぶべし、という思考があきらかだ。若い人たちの中で、Webデザイナー、インタラクティブコンテンツクリエーター、などという領域で認識されているかもしれない職種の範囲内を前提にした考え方がある。それは、過去何十年にわたって、世界中で「広告」の社会的効果、社会的役割を牽引してきたマスメディアを主な舞台とする「広告制作者集団」、俗に言う「広告クリエーター」の職域の延長としてものを見ている。インタラクティブな広告制作者を、その集団の「先進的集団」としてとらえている。
現在のメディア事情、生活者のメディア生活の実態を相手に、マーケティング・コミュニケーションの道具として機能することが求められる「広告」を実現する役割であるこの業界人にとって、「インタラクティブ・クリエーター」こそが明日の「広告」を牽引し続けるのは自明だ。そして、このTIAAという団体もそういう人たちの社会的地位や成果を世の中に発信するというミッションがあることもわかる。今年の受賞作の中でもそうした「インタラクティブ広告制作」という領域での優秀作も多い。
前年のグランプリである「ユニクロック」は、カンヌでも賞をとり、業界内でも話題になった。このときの「ブランデッド・ユーティリティ」というプレゼンワードはひとしきり新しもの好きの人たちに使われた。マーケティング・コミュニケーションの新しい手段としてインターネット上のサービスを構築し、毎日でも見ていたいと思わせるコンテンツとその提供の仕組み、グローバルでブランドファンをつくるというブランドの課題をブレークスルーした構想力、実現力は、個人的にも圧倒された。インタラクティブな仕組みだけではなく、「ダンスをみる」というコンテンツの新鮮さ、チューニングの気持ちよさ、そうした「広告制作」のすばらしさが心に残る。こうしたものを成功のモデルにこれからの「インタラクティブな広告制作者」がどんどんその知恵と実現力で広告を変えていくのだろうと思っている。こうした視点から見ると、たしかに今年の受賞作はにわかには賛同できないというのもわかるのだ。

コミュニケーション・プラットフォームという出力

詳細は該当サイトでみていただきたいが、受賞作は、実は「広告制作」のアウトプットではない。mixiで(匿名でのものを含めて)交流のある人に、リアルな「年賀状」を送ることが可能になる新しいサービスだ。たとえは奇異かもしれないが、「スキー宅配便」などとおなじで、生活者にとってそれまでできなかったことを実現する「新サービス」の一つだ。
「スキー宅配便」が登場するまでは、車や電車でスキー用具一式を自宅からスキー場まで運ぶのはあたりまえだった。それが、宿泊するホテル宛に送って、帰りもホテルから自宅に送りつけられることが可能になり、画期的に便利に快適になったものだ。このサービスがあるからスキーに行く回数も増えた人もいたのではないだろうか。ゴルフも同様。
「新サービス」はこのように「広告業界」「広告制作者集団」という枠を超えて、多くの一般の人たちにとってインパクトのあるものになる可能性がある。受賞作はこの点から見て、画期的で素晴らしいものであることは確かだ。
思えば、インターネットの検索サービスも同様だった。軍事学術ネットワークを「商用利用に開放=インターネット」というそれ以前の革命的な事件には当然劣るものの、検索サービスが発明されなければインターネット一般化のスピードはもっと遅いものになっていただろう。
そう考えると、受賞作のような「コミュニケーションに関する新サービス」は今後、人々の情報生活、ひいては生活そのものをさらに便利に快適に変えていくポテンシャルを持っているとおもわれる。
それを「広告業界の人たち」がハブになり、複数のサービス企業やさまざまなプレイヤーを巻き込んで実現した、という事実そのものが画期的だと思っている。

「広告」の、明日はどっちだ

メディアニュートラル、エンゲージメント、コーズ・マーケティング、企業と生活者とともにする社会的貢献、産業界視点からの消費喚起、社会モラルの形成、生活者主導のコミュニケーション、、。今後の広告に関して、様々な視点からその役割の再定義が必要になってきているのが現在だと思っている。広告業界の内部にいると、景気が悪い、構造変化も心配だという声が支配的だ。それは事実かも知れないが、こうした状況の中で、真摯に「次の広告」を考え実現しようとしている人たちが多いという事実。だから、日本の「明日の広告」は大丈夫だと個人的には、ひっそりとおもっていたりもする。

2009/05/08

ポッキーの瞳 ・・誘惑の法則(7)
 女の子が「自分撮り」するときに気にするポイントがいくつかあるそうです。小顔に写る。上目遣いで。この「上目遣い」は、たしかに効果があるような気がします。悪くいうと、意図的に小動物(ネコやタヌキですね)みたいに愛らしく、ものほしげな風情で、要するに「媚」を売っている訳なのです。それがわかっていても、多くの男子は嫌いじゃない。そういう「計算」のもと、女子たちは、カメラレンズの向こう側の「誰か」にむけて、媚を売ってるわけです。目で誘惑しようというのですね。
今回の誘惑の法則は、こんな「目は口ほどにものを言い」という話。
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なぜポッキーのチアガールはキュートかpocky

 ポッキーのTV広告、人気があるみたいですね。おじさんである私が見ても、胸がきゅんとします。どきどきします。
 チアガールのかっこした女の子が、ハードでかわいいダンスを踊ってくれる。両手にはもちろんポッキーを持って。男の子だけでなく、女の子にも、かわいいかわいいと絶賛です。で、なぜこれがかわいいかわいいなのか。なぜこのCMは人々を誘惑するのか。と、考えてみたのです。

 答えの前に、ちょっとした体験を紹介しなくてはなりません。
 広告作品や映画などの「完成品」の効果について語るときには、本来は周辺的な情報は無視しなくてはいけません。それが基本です。たとえば、小説の批評をするときに、作者が変態だとか、作者の性格が捻じ曲がっている、作者が異常な金満家だとかいう情報に基づいて、小説をぼろぼろにけなすのは、もちろんルール違反です。それと同じで、あくまでも作品の中で語る必要があるのです。
 なので、ルール違反なのですが、許してください。なにも、このコマーシャルの出演者が変態だとか、性格が捻じ曲がっているといっているわけではもちろんありません。ご安心を。

 たまたま、動画共有サイトで、このCMの「ダンスレッスン映像」を見てしまったんですね。

 これが、ちっともどきどきしないの。
 あのCMはなんどみても、どきどきするのに。

 理由を考えてみました。

 まず、髪形が違う。
レッスン映像の中で、彼女はダンスを練習したり、しぐさも指導されています。指導する人と談笑もします。その髪型は、ロングで肩にかかる形です。CMよりも何歳も大人っぽく、大人の女性の色香が感じられるたたずまいです。CMの中の、はちきれんばかりの「若さ」。それは彼女の服装ばかりでなく、チアガールとしてひっ詰めた髪型にもあるのです。
 そしてなによりも、目線が違う。
当然ですが、ダンスレッスン映像は、CM撮影用のカメラではなく、第三者の目線で彼女を追います。彼女の視線は決してカメラをとらえることはなく、盗み見するカメラには気づきもしないかのようにレッスンをつづけます。その何気ない風景を追うことを目的にしたドキュメンタリーなのですからそうなのですが、CMとはまったくちがう。

 そこできづいたこと。
 このCMは、彼女の「カメラ目線」の誘惑力がすべてである。

 カメラのこっち側でテレビ画面をみている「あなた」をみつめて、踊りながらあなたを誘惑する「目」こそが、このCMの誘惑力です。確認のために、あらためてCMを見てみましょう。ほとんどのカットは、カメラ目線です。振り付けの関係で目線がそれてもそれは一瞬です。一生懸命に、運動をする女の子。その間中、あなたは彼女に見つめられているのです。楽しそうな笑顔とともに、あなたを見つめつづける大きな目。これにきゅんとしないわけがありません。

 他のCMと比べると一目瞭然です。こんなに「カメラ目線」全開のCMは、他にはありません。普通のCMは、商品カットがあったり、イメージシーンがあったり、タレントが演技をしていたり、とにかくカメラ目線をずーっとしているCMなんて、実はありません。今一度、そのことだけに注意していろんなCMを見てください。このCMの特異性がわかるはずです。

「あなた目線」は誘惑ツール

 はちきれそうな笑顔であなたを見つめつづける「あなた目線」の誘惑。
 たとえば、自分のお子さんが幼稚園の運動会でかけっこをしているシーンを想像してみてください。楽しそうに、一生懸命に走りながら、愛する親であるあなたを見つけるとじっとみつめながら走り続ける。手まで振ってくれるかもしれません。どうですか。まだ親でない方でも、胸きゅんになりませんか。

 「あなた目線」の誘惑は、絶対に使えるはずです。でも、単に、ずっと誘惑したい人を見つめていればいいというのではありません。
合コンや面接で、好きになって欲しい相手を穴が開くまで睨んでいても、相手は引いてしまいます。ポッキーの彼女がそうであるように、かけっこする娘がそうであるように、ほんとうに楽しそうな笑顔をしながら「あなたを見てますよー」という目線が、大切です。まず心からの笑顔。そして、にこにこと見続けること。

 ここまで考えてきて、はたと気づきました。
 CM制作の世界では、昔から、「はずさないタレント」として、赤ちゃん・小動物(ネコなど)、が挙げられています。どんなつまらないCMでも、このどちらかが動いていれば人々は好意を持つというものです。そういえば、赤ちゃんって、にこにこと笑って、こちらをみてくれますよね。こちらもうれしくなって、にこにこしてしまいますね。その目線は、ポッキーのものと同じです。

 さぁ、この世のあらゆる汚れにまみれていようとも、純粋無垢な赤ちゃんの気持ちになって、にこにこと見つめましょう(^_^)
 それが、「あなた目線」の誘惑を有効に活用する鍵です。アラサーも、アラフォーも、アラフィフも、どんなに俗世間に穢れていようとも、「あなた目線」さえ体得できれば、どんな合コン、お見合い、面接でも、無敵(のはず)。婚活の成果を挙げるためにも、いまいちど鏡の前で「あなた目線」の猛特訓をしてはいかがですか。口下手な人でも、大丈夫。ただし、赤ちゃんの笑顔になるためには、自分を一度忘れないといけないかもしれませんが・・(苦笑)

 

2009/03/26

今、『口コミ』というと、広告業界の若い人たちは、すぐに「アルファ・ブロガー」を巻き込もう、ネットでのバズを作ろう、面白い動画を作って「ニコ厨」の支持を得よう、などと考えます。それが成功して話題になることもあります。

でも、ちょっと待ってください。インターネットのない時代から、『口コミ』はもちろん存在しており、そのメカニズムについては社会学者を含め多くの人々が実証的に検証してきています。

急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則
kuchikomi
今日のご紹介本は、オリジナルタイトル「The Tipping Point」。最初の邦訳の時には、「なぜあの商品は急に売れ出したのか 口コミ感染の法則」というタイトルでした。一昨年、コンパクトになってタイトルも変わって上梓されています。

amazonの書評でも

特に世に言う「インフルエンサー」言う概念を、

1.コネクター
2.メイヴン
3.セールスマン

という3つにカテゴライズしているのは秀逸。

とありますが、同感です。ネットワーク情報伝播論として、読みやすいし、面白いし、役に立ちます。

どうやって、この三者を選んで、具体的にニュースとして運んでもらうか。
マスメディアやコミュニティ、パーソナルメディアなども活用しながら。

という視点でも、情報の伝播の仕掛けを考える必要がありますねー。

2009/03/13

広告業界でもしかすると一番好きなクリエーター、箭内道彦氏のエッセー本がでてました。
なんと、見逃していたらしい。昨年の夏刊行、とな。
まだ、ぱらぱらとしか読んでませんが、「合気道」の精神は、非常に共感がもてます。

サラリーマン合気道 「流される」から遠くに行ける
箭内道彦著
aikido
実は、もう二十年近く前に彼と仕事をしたことがありますが、忘れてるでしょうねぇ。
その頃のことを、彼自身は「悶々としていた時期」と書かれていますが、
当時から今と変わらない発想とアイデアとコミュニケーションのスタイルを持っていました。
非常に楽しい仕事でした。

この週末は「合気道」精神を真摯に、楽しく、学ぶことにします。多謝。

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