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2009/01/19

「すべての人には、取材に応じる義務なんてないのだ」
ということを、取材しているまさにその間に思うことがある。別に相手に嫌がられたからだとか、そんなわけではない。
ふとこう思ってしまうのだ。
「ああ、この今の時間は、相手の人にとって有意義なんだろうか」と。

私は、どちらかといえば広告記事の方が本業ということになっている。
広告の世界では、記事にも料金が発生する。取材記事を書き、取材対象者からお金をもらう。
その代わり、記事はどうしても、宣伝にならざるを得ない。広告主の都合の悪い話は絶対に書けない。

もちろんマスコミの業界では、取材された人が、その人の望むように描かれるとは限らない。例えば週刊誌やテレビのワイドショーなどの世界においては、むしろ批判する姿勢を常にくずさない。
その場合は「インタビュー」なんて穏やかなものではなく、「突撃取材」などという戦いにでもいくかのような物々しい表現になる。週刊誌の張り班や芸能記者、テレビのレポーターは、毎昼夜、対象者との戦いの場に臨むのである。

 
そんなたくさん存在する「取材」の中で、私は“優しい”取材をしたい。
このJunkStageで取材させていただいた人、そして今後もさせていただく人は、基本的に無償だ。
本当に、相手のご好意に支えられて、話を聞かせてもらい、記事を書かせてもらっている。
それはすごくありがたいことだ。
できればその時に、同じ目線に立ってみたい。それが、取材を許してくれた相手に対する礼儀でもあるだろうが、それ以上に、私の知りたいことはそうして初めて手に入れることができると考えているからだ。上からの目線で取り組んでいては見えてこないものが多すぎる。
そして、相手が時間を割いて話を聞かせてくれた以上、せめてその人の言いたいことがちゃんとくみとれるような、そんな記事を書いてあげたい。それが相手の親切に応える方法だ。
さらに可能ならば、私が質問したことに答えてくれるときに、「ああ、私はこういうことを考えていたんだなあ」と自分の秘めた思いに気づいてもらえるような、そんな質問をしていきたいと思っている。

アメリカの有名なコラムニスト、ボブ・グリーンは言った。
「割り当てられたスペースを埋めるために、苦しむべきことなどなにもしていない人間をわざわざ苦しめる価値など、ごく限られたケースを除いては、ない」と。
彼の代表作「アメリカン・ビート」はそのような優しい姿勢に満ちている。
私も、そんな目線を持った取材者でありつづけたい。

 
「ペンは剣よりも強し」という言葉がある。
それは“剣に勝てる”という意味だけではない。
むしろ、“剣よりもさらに、多くの人を傷つけることができる”と考えたほうがよい。
それほど、言葉や文字には、強い武力の可能性が秘められている。
だから言葉を扱う人間は、細心の注意力と、そして書いたものへの責任を持たなければならない。

以上、自戒の意味をこめて、ここに記しておく。

2009/01/12

【インタビュー 前半】「DRAMATiC STATiON/劇団」からの続きです)

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脚本を書きたい。

――今回、脚本・演出・出演と三役こなされましたが、どうですか?
野間 
ほんとは出演するつもりはなかったんですけどね……女優を探していたんですけど、どうしても見つからなくて。でも演出もしなければいけないので、自分自身の役作りをするよりは、誰かに代役してもらったりして、自分はずっと場の全体を見ていました。カウンターの中にいて動き回ったりしない役柄だったので、そういう意味ではこの役しかできなかったと思います。
――やはり脚本・演出がやりたいですか。
野間 
そうです、物語を描いていたいんですね。
――先日「小説よりは脚本のほうがいい」と言っておられましたが……。
野間 私が書いた脚本は幸いなことに、すべて舞台にかかっているんですよ。お蔵入りしたことがなくて、逆に言うと、お蔵入りしちゃダメな状況で書き上げないといけないんです。代替のきくストックもないですし。「コンクールが○○日までだからそれまでに」って感じで〆切が設定されますし、自分以外の人も巻き込んで動いているので、もう必死で書き上げる感じですね。
――高校から演劇をされていたと聞いたのですが、脚本の書き方はその時に身についたんですか?
野間 身についたかどうかは分からないですけど(苦笑)。いろんな脚本を読んで自分なりに勉強しました。私の書き方は、あんまり演出は書き込まずにセリフだけなんです。
 (ここで脚本を見せてもらう)
――あ、でも最後のシーンの野間さんの役の行動が、ここに書かれているのと違っていますね。
野間 
あれは、いきなり決まりました。最後どうしようという話になって、たくさんの案が出たんですけど、最終的に、あの行動を勝手に(笑)やっちゃいました。

 

“同じ言葉”を話して考える。

――脚本と演出を別々の人が担当するなら、やはり意思疎通というか、同じ空気を了解していないとダメですか?
野間 チームの中でお互いどういうものが作りたいのかを分かっていないと厳しいと思います。“同じ言葉”を話せる人でないと。
――それは、脚本と演出だけじゃなくて、役者にも当てはまると思うんですが、最初にそういう感覚を共有できる場を設けたりはしたんですか?
野間 
「私はこういう脚本の書き方をします」だったり「私はこういう演出をします」という話はしました。あとは、1ページ分ぐらいの短い話を書いて、それを実際に演じてもらいました。その際に「ここはこういう間やタイミングでやってほしい」ということを伝えました。
――野間さんの脚本や演出の個性を分かってもらう場ですね。
野間 
そうですね。自分の方向性を見てもらう場としてやりました。mixiが最初なので、そういうすり合わせをしておかないと難しいと思ったので。
――役者さんからも「ここはこういう演出の方がいいんじゃないか」という提案などはありました?
野間 
ありましたけど、そこはまず話し合いですよね。「そこはそういうことではなくて、こういう方向でお願いします」って修正したり、「あ、じゃあその方向でいいですよ」って認めたりしました。キャラを壊さなければ。かなり認めますね。私はキャラ作りより、まず世界観を作っていくことを大事にするんです。
――今回だと、白と黒の国境線にあるバー、というところからですか?
野間 
あとは場面ですね。「こういう場面を決めたい」というところから考えます。ビジュアル重視な人間なので……(笑)。世界観、そしてストーリーがあって、それに合うキャラを放り込む感じです。その空間さえ決まれば、後はどんな形でも話は作っていけると思っています。

 

演劇という、表現方法。

――演劇って、その一瞬一瞬で勝負なところがあると考えているんですが、それについてはどう思われます?
野間 
人ってそもそもそういうものだと思うんです。同じことは繰り返さないし、変わっていくものではないかなって。パンフレットの挨拶文でも書いたことなんですけど、「残るのは感情と思いだけだ」と考えています。
――公演の2日の間でも、変化がありました?
野間 
全然違いましたね。最後の千秋楽が一番、みんなも納得している出来だと思います。 
――そういう変化が演劇の魅力ですか?
野間 
魅力と言うか、そういう風に人は生きていくのかなあって思っています。私は人間に重きを置きたいんです。「DRAMATiC STATiON」を作ったのも、人のつながりの力を生み出したかったというのもありますし。たとえば演劇と違って、変化がない絵画のような芸術でも、見る人が年をとれば受け取り方が変わると思うんです。最初は分からなかったけど後で見たらすごく感動するかもしれないし。その中で私は、一番変化していく演劇というものを、表現方法として選んでいると思っています。
――全てが一発勝負で決まる怖さもありますか?
野間 めちゃくちゃ怖いですよ(苦笑)。「なんで、こんなしち面倒くさい表現をやらなきゃいけないんだ!」と思う瞬間もあるんです(笑)。でも、私はきっと、しち面倒くさいことを言いたいんですよ。「命は大切だ」「友情は大切だ」とか簡単なテーマじゃなくて、もっとややこしいことを主張したいんです。そうしたら、しち面倒くさい表現方法を採るしかなかったんです。
――じゃあ、その舞台がどういうものか、一言で決め付けられるのは嫌ですか?
野間 嫌ではないです。そういう意見が多ければ、その舞台の最大公約数というか、一番受け取られることが分かるので、勉強になりますね。
 でも私がいつも思うのは「なにか伝えたいことがはっきりあるのなら、演説すればいい」ってことなんです。そっちの方がよっぽど伝わりやすい。でも私はそういうのがしたいんじゃなくて、「考えさせられました」といった感想のように、ちょっとだけ何かが伝わればいいかなって。例えば「半年後に夢に見ました」といったような、そんな残り方が理想ですね。
――単純明快で、するっと流れていくような物よりは、心にひっかかかってほしいということですね。
野間 まあ、私が単純明快なものが書けないだけなのかもしれませんが(笑)。人はどんな方法を選んでも、自分が出てしまうんです。自分の考え方から逃れれることはできないと思います。そんな自分にとらわれながらも、どれだけ高く飛べるか、それが勝負ですね。

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野間さん、「DRAMATiC STATiON」の皆さん、ありがとうございました!

mixiコミュニティ「DRAMATiC STATiON」

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http://mixi.jp/view_community.pl?id=3215220

2009/01/05

一年は短い。そして、長い。
「今年こそは」と思っていたのが最近に思えるし、
「来年は自分はどうしてるのかな」なんて悩みが遠く感じられる気もする。
月日は過去への回想と憐憫と、そして親愛を道連れにする。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
 時には昔の話をしようか。

 揺れていた時代の熱い風に吹かれて。
 体中で瞬間を感じた、そうだね。

 嵐のように毎日が燃えていた。
 息が切れるまで走った、そうだね。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
小粋な豚が主人公のジブリ映画で、加藤登紀子が歌っていた。
いつしか、未来よりも過去のことが多くなって、
「思えば遠くへきたもんだ」などと、
輝く日々を懐かしむときがくるのだろうか。
でも、今はまだその時じゃない。
今はまだ、明日からつづく未来にドキドキワクワクしている自分がいる。
それで、多分いい。

 
一年間一年間と、周りの人たちの好意と友情で生かされてきた。
そんな人たちに、「愛をくれてありがとう」と、
そして「これからも愛をよろしくお願いします」と、
さらに「だから私からも愛をあげたい」と。
それが、祈るような新年の願い。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
 52万5600分という時間
 あなたはどうやって1年を数えますか?

 陽の光? 夕暮れ?
 真夜中の数? 飲んだコーヒー?
 インチ? マイル?
 笑った数? 喧嘩した数?

 ……“愛”ではどうだろうか。
 “愛”で人生の中の1年を。
 数えてみてはどうだろうか。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
大好きなミュージカル映画のテーマソング。
見えない未来に不安を抱きつつ、励ましあいながら夢を追いかけた。
そんな登場人物たちと同じように、明日ではない今日を生きていきたい。
そう、思った。