Home > 12月, 2008
明治時代まで、日本は旧暦を使用していた。
太陰暦、と呼んでもよい。
月の満ち欠けを基本にしたカレンダーである。
明治5(1872)年の12月3日が、いきなり明治6(1873)年の1月1日ということになった。
社会的混乱は少なからずあったようだ。
その後は今の日本の通り、グレゴリオ暦が使用されていく。
旧暦の存在は、日めくりカレンダーの下側に小さく
「旧暦 ○月○日」
のように記載されるだけの存在になった。
だかもちろん、いろんな伝統にも旧暦の存在は隠れている。
一番大きいのは、月の満ち欠けだ。
「十五夜」と満月の日のことを呼ぶ。
これは旧暦では、満月の日を毎月15日にあてていたことからの由来である。
同じく三日月は、「毎月3日の、新月から少しだけ形が見えてきた月」のこと。
新月は、毎月1日だ。
これを考慮すると、旧暦時の歴史的事件の日の、月の様子が想像できる。
例えば、1582年、6月2日。
戦国武将、明智光秀が主君の織田信長に叛旗をひるがえした、通称「本能寺の変」の日。
反乱を誓った彼を包んだのは、きっとほとんど月の光がない闇夜だったのではないだろうか。
そしてその分、星が美しく輝いていたに違いない。
今まで仕えた主君を裏切るとき、彼がどう悩み決断をくだしたか、我々には知る余地はない。
だが、夜空を見上げたときの彼の心境は、少しだけ、分かる気がする。
他にも1598年3月15日。
天下をとった豊臣秀吉は、京都の醍醐寺で盛大な花見を催した。
これが最期となるこの花見で彼はきっと春の美しい桜を楽しみ、そして夜には満月を見たのだろう。
華麗に咲き誇る花、さらには白く光る丸い月。
満開になった桜はあとは散って大地に還るだけで、
満ちきった月もまた、欠けていくことしか許されない。
栄華を極め、そしてきっと自身の残り少ない人生を感じていただろう秀吉は、
この桜と月に何を思ったか。
そんなことを想像したりもする。
一年は365日しかなく、季節はただ繰り返す。
「暦」とは、「歴」が過去を記録するものであるのに対して、未来を予測するものであるという。
「こよみ」という読み方も、「一日一日と数える」という意味の「日読み」からきた説が強い。
過去から未来へとつながる一日一日を大切に記録していく。
それが、カレンダーというものである。
事前に【キッカケ】「DRAMATiC STATiON/劇団」と
【紹介】「DRAMATiC STATiON/劇団」をお読みください。
11月30日 公演後の会場「STAGE+PLUS」にて代表・野間に。

mixiで人を集めた。
――「DRAMATiC STATiON」コミュニティをmixi内で立ち上げられたのが3月31日ですが、そもそも構想は何月ごろからあったんですか?
野間 それも3月中だったと思います。昔からおぼろげには考えていたんです。高校から芝居をやっていたこととか、自分の進路に悩んだということがあって、ちゃんとこういう形にしようと思ったのは今年の3月でしたね。
――立ち上げて、みんなが集まってくれる確信はありましたか?
野間 全然なかったですね……。ただ、今関西で劇をやろうと思っても、小さな劇場はどんどん閉まっていたりするので、どうしても東京にいくしかないという現状があるんですね。それがなんとかならないかと思ったんです。でも私はまだ学生ですのでお金はないし、権力もあるわけでもない。そんな私が今の状況を打破するとしたら「人」だと思ったんです。私一人の力ではなんともならないですけど、私の呼びかけに対して何十もの人が集まってくれて大きくなっていけば、と思いました。
――唯一あるのは行動力、という感じですか。
野間 行動力というか、性格として向こう見ずなところがあるだけです(笑)。
――3月に立ち上げられて、5月に最初のオフ会をしたと聞いたんですが、どうでしたか?
野間 とても面白かったですよ。いろんな人が参加してくれました。映画を撮っている人や撮られる側の人もいましたし、観客としてですけどすごくたくさんの劇を見てきた人もいました。ただ、最初のオフ会でいまの出演者が全員いたわけではなくて、途中から参加していただいた人も多いです。最初の芝居を見て、その後参加してくれた人とか。
――その最初の芝居なんですが、6月に一度、短い芝居を上演されてますね。
野間 はい。各団体がそれぞれ20分以内で芝居をして、お客様に投票してもらうという企画に参加しました。5団体の中でありがたく1位に選ばれました。5月のオフ会で「すぐ芝居やりましょう」という話をふって、1ヶ月で準備しましたね。
関西で演劇をしたい。
――mixiのコミュニティの説明文に「東京一極集中を打破!」と書かれていましたが、やはり現状は東京に集まっちゃっているという問題点がありますか?
野間 そうですね。まあ東京に集まるのは当たり前といえば当たり前だとは思うんです。でも関西にとどまらなければいけない人、例えば学生だったり、結婚した人だったり。そんな人が芝居したいなと思ったときにあきらめるしかないのはどうかな、可能性が縮まるのはどうかな、って思いますね。
――劇中で、全ての登場人物が関西弁でセリフを話していましたが、それもそういう意図で脚本を書かれたんですか?
野間 まさにそうです。
――最後に出てくるキーパーソンのキャラだけ、固い丁寧語だったので、それがギャップで際立ったイメージがありましたが。
野間 それでも、標準語にはしないでくれ、っていう話はしていました。関西弁でシリアスな芝居がやりたかったんです。ドラマやアニメでは、“関西弁”ってだけでキャラクターができてしまいがちだと思うんですが、そういうセオリーを無視して、関西弁を普通にしたかったんです。
そもそもこの話自体を考えはじめたのは高校生だったんですよ。中学・高校が女子高だったんで、どうしても男性を出す芝居をやりたかったんです。思いついたきっかけは覚えてないですが、「国境線が引かれてて、白い服と黒い服に分かれて……」というところから始まりましたね。もちろん高校生だったんでバーではなかったんですが(笑)。でも大人っぽい芝居がやりたいとは思っていましたね。
旗揚げ公演が終わって。
――今回149名ものお客さんに来ていただいたとうかがいましたが。
野間 mixiコミュニティで宣伝したり、知り合いに声かけて来てもらったりで集まってもらえました。当初の目標は100人超えだったんで、大幅に超えることができてありがたかったです。
――お客さんを拝見したところ、いろんな年齢層の方がいたように思ったのですが。
野間 ご両親がわざわざ来られた人も多いみたいです。私は恥ずかしくて呼べないですけど(笑)。
――2日間、計4回の上演が終わって、いま実感はありますか?
野間 実はあんまりないですね……。「ああ、終わったなあー」とは思うんですけど。もうちょっと後になったら実感すると思います。稽古がないことがわかってふと気づいたり、とか。
――第2回の予定はどうですか?
野間 まだ全然固まってないんですが、するとは思います。今回の課題や反省点なども出てきたので、それを活かしていきたいと思いますね。基本的に「DRAMATiC STATiON」の名前というか看板を背負っているのは、今は私一人なんですね。他の方は、その時その時に自分のできる形で参加していただくという考え方なんです。「DRAMATiC STATiON」の活動ももちろんですが、ここを起点に参加したみんながそれぞれ何かやってくれれば、それは意味のあることだと思います。
――拝見した芝居がはねた後の野間さんの喜び方が印象的でした。楽しそうだなあって。
野間 そういうのが伝わったら嬉しいですね。私のやっているような活動は、楽しくやらないとダメだと思います。「楽しそうだな、自分もやってみたいな」って思ってくれればみんな参加してくれますし、そうしたら「DRAMATiC STATiON」はどんどん強くなっていくと思います。今回の脚本を役者に渡すときも、「わたしはこの脚本をまず役者の人に楽しいと思ってほしい」と言ったんですね。
立ち上げから8ヶ月、ここまでこぎつけたことはとても幸運なことだなと思います。結成から2ヶ月足らずの最初のオフ会で10数人集まってくれたことがまず嬉しかったですし、最初の優勝や、今回の旗揚げ公演でお客様が100人こえたというのもすごくありがたいことだと思っています。

「マーブル・チョコレート」
「DRAMATiC STATiON」主宰の舞台『マーブル・チョコレート』を観た。
白と黒の国境線が引かれたバーでのお話。
現実でなく、ちょっとだけファンタジー。
そこに集まるのは、真っ白か真っ黒の衣装に身を包んだ、仮想の国の住人。
彼らが約1時間半にわたって繰り広げる物語に、見入った。
「関係ないよなあ、“白”か“黒”かなんて」
友人の安藤演じる青年がそう語る。
そう、関係ないはずだったのに。
「だから“白”はイヤなんですよ!」
「俺が“白”やから、そう決めつけてるんか!?」
仲睦まじかったはずのカップルに入った亀裂。
「相手の目の中に自分を見つける。その自分の目の中にまた相手を見つける」
「なんや急に」
「お前、最近相手の目を見て話してないねん」
全てはそんな、ぎこちなさから始まった。
「こんなこと、前もしてたよな」
「そうやったっけ?」
眩しかったあの頃の日々が、繰り返されるように見えて。
「何かが少しずつ変わってきてる……」
そんな実感が、たゆたう。
「楽しかったよな」
「過去形?」
失うことを恐れて、思わず聞きかえさずにはいられない。
そして、終わりが始まる時が来る-。
コミュニティ「DRAMATiC STATiON」
「DRAMATiC STATiON」の立ち上げは、2008年3月31日。
mixiのコミュニティ開設から始まった。
「関西で演劇をしたい。でもする場がない」そんな悩みを出来る限り拾い上げられたら。そういう考えがそもそもの発端だったという。
顔を合わせたことのない人たちがコミュニティに続々と参加し、まず最初にオフ会をすることから始まった。
そしてそのオフ会で、一度目のミニ公演の企画を進めていった。
6月28日。大阪天王寺の劇場兼バーSTAGE+PLUSで、20分程度のミニ舞台を行う。
そして11月29日・30日。正式な旗揚げ公演『マーブル・チョコレート』を上演。
「関西は、受け皿が少ないんです」
代表の野間は、関西の演劇の実情について、そう語った。
「例えば学生で、例えば結婚して、例えば仕事の事情で。東京に行きたくても行けない人って多いと思うんです。でもだから演劇をあきらめるのはもったいない。だったら、大勢の人を巻き込んで、そんな場を提供してやればいい。そう考えたんです」
mixiコミュニティ「DRAMATiC STATiON」の紹介文には、
「関西の舞台芸術活動における、需要⇔供給の一致を目指します。」
とある。舞台を立ちたい人。舞台を演出したい人。脚本を書きたい人。照明や音響でサポートしたい人。フライヤーなどの広報の面でバックアップしたい人。自分が作った音楽を提供したい人。
そんないろんな人たちが、このコミュニティには参加している。
共通するのは「演劇に何らかの形でかかわりたい」という想い。
それが、普段顔を合わすことのないネットという空間の中で結びつき、旗揚げ公演までこぎつくことができた。
1日2回、2日間で計4回の上演。合計149人の観客を動員することができたという話を後で聞いた。
その盛況を祝って、公演後に大入り袋が配られた。
(※演劇や相撲などの興行で千客万来を祝い、関係者に配られるお祝い袋。赤字に白抜きで「大入」と書かれた袋が一般的。)
インタビューのためにその場に居合わせた私は、「小道具を提供した」ということで袋を受け取る光栄にあずかった。
「ありがとうございました!」
私や他の関係者、協力者に大入り袋が手渡されるたびに、メンバーが斉唱するお礼の言葉が、会場の中に心地よく響いた。
舞台の温度が残る中で。
私は、11月29日土曜日の、18時30分からの舞台を観た。
いい舞台だと思った。
音楽と照明と、タイミングの演出。
重要なキーワードがリフレインされ、観客の頭にしっかりと残ってくる。
さらり、ではなく、ざらり。
流れて後に何も残らないのではなく、どこかにひっかかって心に残りつづけるような物語。
代表の野間は、きっとそういうのを書きたいんだと、思った。
時間は約1時間半、20時過ぎになって芝居がはね、出演者が舞台に一列に並んで深々と頭を下げた。
一度全員が隠れたあと、代表の野間だけが再び舞台中央に出てきて、もう一度「ありがとうございました」と観衆にお礼を言った。垂れた頭を上げ、両手を顔の前で組み合わせて祈るようなポーズをとる。
その瞬間に、舞台上で先ほどまで見せていた冷ややかな表情とはうってかわった、心からの笑顔を見せた。3月から8ヶ月間、心に描いてきたものを形にした充実感と、そして当日を迎えることのできた安心が混ざっているような、そんな感想を覚えた。
「演劇はフルタイムホビー」
先日の電車の中で聞いた野間のその言葉が、ふたたび思い出された。
フルタイムホビー。思わず口に出してつぶやいてみる。
なかなか悪くない。がむしゃらになって動く情熱を、しかし粘っこくなくからりとした表現で伝えることができる。
「趣味は……演劇です」
そうさらっと語ることのできる人たちを、私は心底かっこいいと思った。
※画像・写真は「マーブル・チョコレート」公演時のパンフレット・フライヤーから引用
「森田さん。演劇の小道具に使うので、バーグッズやグラスを貸してほしいんですが」
そんなメールが届いたのは、今年の夏が終わる頃だった。年下、確か今年23歳になった友人、安藤からの打診。興味を覚えた私は、すぐに彼に電話をかけた。
「バーが舞台なの?」
「そうです。森田さんはいろいろ持ってるので、貸していただければと」
「いつの舞台?」
「えっと、11月末ですね」
確かに私の家には、酒のボトルやグラスなどが一人暮らしにしては多く備わっている。かつてバーテンダーをやっていたことが高じて、自宅がホームバーと化していた。
たまに遊びに来て酒を飲んでいた安藤は、当然そのことを覚えていた。それで私に聞いてきたのだ。
「具体的にどんなものが必要かは、演出の人と打ち合わせて、また後日連絡します」
「わかった」
私は快く引き受けた。だがその時はまだ「バーが舞台か。見てみようかな」ぐらいにしか、感じていなかった。
「演出さんと打ち合わせしました。このリストでお願いします」
後日、安藤からそういう内容のメールがきた。
それに返信する形で、持っているグラスやグッズの写真と、ボトル名の一覧を送った。
足りなかったボトルは、私がかつて勤めていたバーに、「空になった瓶でこのリスト内のものがあれば、とっておいてくれ」と頼んでおくことにして、手元にあるものは彼を含む劇団の人で、私の家に受け取りに来ることになった。その時はじめて私は、彼にどういう劇団かを聞いた。
そもそも彼は劇団に所属していなかったはずだ。高校時代には演劇部で活動していたとは聞いていたが、最近新しく入ったのだろうか。それが気になった。
「劇団名は『DRAMATiC STATiON』。実は、ミクシィのコミュニティで立ち上げた団体です。主宰者は僕と同い年です」
その返事が彼から来たとき、はじめて私の興味が、この団体に対して大きく動き出したことを覚えている。
後日『DRAMATiC STATiON』のコミュニティを見た。
キャッチコピーとして大きく掲げられた、「東京一極集中を自分達の力で打破! 」という文字。
それを目にしたとき、SNSを使うというこの極めて“今風”な立ち上げられ方をしたこの団体を、面白いなと思った。
一度、日曜の夜、大阪の梅田駅で待ち合わせて、彼ら『DRAMATiC STATiON』の劇団員に出会った。「今、練習終わったところです」と語った安藤は、「こちらが代表の野間さんです」と主宰者を紹介してくれた。
最初驚いたのは、失礼ながらその代表が女性ということだ。安藤の友人と聞いていたので、どこか男性だという先入観を持っていた自分が、恥ずかしくなった。そんなことに男女の別なんて何もない。男性だけに限られた趣味でもないのだから。
「はじめまして」
挨拶した後、安藤が他の劇団員も紹介してくれた。「今日ここにいる人が、今回の旗揚げ公演の出演者です」と語り、みんなが口々に、グラスを貸してくれることの謝意を述べてくれた。私が自己紹介と挨拶をした後、一人の男性が「三重へ帰る終電がなくなるので……」と帰宅。彼の後姿を見ながら、私は安藤に「遠くから来てる人もいるんだね」と驚きの声をもらした。
あとは私の家に、みんなで道具やグラスを取りに来た。その途中の電車の中で、私は安藤とその代表の野間と三人で話をした。お互い初対面だったためどうしても安藤を挟んだ会話になってしまったが、私の物書きとしての仕事の話をしたとき、野間は「私も書きたいんです」と語ってくれた。
そして「小説より、脚本のほうが今はまだ取り組みやすいんです」と。
なぜかと聞いた私に、野間は「脚本は、遅れてしまうとみんなに迷惑がかかるもの。だから締め切りまでに仕上げようと頑張れるんですよ」と笑いながら答えてくれた。
ふと私は、前から気になっていたことを言ってみた。
「演劇って、すごくエネルギー使いますよね」
それに応えてくれた野間の言葉が、印象に残った。
「演劇って、フルタイムホビーなんです」
「フルタイムホビー?」
「劇団の人は、仕事以外の時間をすべて演劇につぎ込んでいるんです。練習や準備、公演とか」
「なるほど、気軽に始められる趣味というよりも、全力を尽くして取り組むことなんですね」
「そうです」
そうやって、自分の時間を捧げて、一つの舞台の完成を目指す。決してビジネスとして儲かるわけではない。利潤など追求せず、むしろ団員自身が自腹をきってでもやりたいこと。そう考える劇団や劇団員が多いと聞く。
就職活動の履歴書や、自己紹介の用紙にはほぼ必ず「趣味」という欄がある。ほとんどの人はその欄に、なんとかひねり出した“好きなもの”を書き込む。映画鑑賞、音楽、読書などだ。私も若い頃は、恥ずかしげもなく「映画鑑賞」と書いたものだ。暇をもてあましていた当時の私は、一年間に百本の映画を見たことを自慢と誇りにしていた。だが、そんなもの、劇団の彼らに比べてどうだというのか。
趣味の欄に“演劇”と書き込むということ。それは明らかに、他の趣味と違う熱量をまとっているように思えた。
ならなぜ、そんな「フルタイムホビー」をみんな選ぶのか。
選びたくて選んでいるのか、選ばざるをえなかったのか。
いつか、その答えを知りたいと思った。
mixiコミュニティ「DRAMATiC STATiON」
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“不思議な空間”というものに関して、自分の思うところを書いておく。
恩田陸の『ドミノ』に一人の少女が出てくる。
少女は、いつも母親に、演劇のオーディションを受けさせられている。
何度もチャレンジし、落ちたり受かったりを繰り返しながら、
少女は、自分よりも母親のほうが熱心な様子に少し辟易していた。
そして一つの感想にたどりつく。
「ああ、この不思議な空間を、ママやみんなも味わっていたいんだ」と。
日常から少しだけ離れた空間。
オーディション会場や舞台の上で、普段はできないことを体験する。
そんな“不思議な”空間だ。
少女のこのセリフを読んだ時、大げさに言うと、戦慄した。
それは誰もに当てはまる言葉ではなかったか。
演劇だけではない。世の中の“イベント”と呼ばれるものの大半は、
そんな“不思議な”空間を提供するものではないだろうか。
多くの人は、平凡な日常を生きている。
毎朝同じ場所で目覚め、同じ時間に家を出て、同じ場所で働いている。
同じ人と顔を合わせ、同じような内容の仕事をこなしている。
そんな「同じもの」の繰り返しは、人間にとって少し退屈らしい。
だから人は休日に、刺激と変化がほしくなる。
映画や芝居を見る。
テーマパークやミュージアムに行く。
ライブやコンサートを楽しむ。
バーやカフェで休む。
本を読む。
全てが、ちょっとした不思議を提供している。
そして人は、さらなる不思議な場所を求めはじめる。
人によってはそれが文化祭だったり、演劇だったり。
何かのイベントに自分も参加する楽しみを味わおうとする。
さらには、自分が前面に出て、何かを表現しようと考える。
バンドを組んだり、舞台に立ったり、個展を開いたり、本を書いたり。
自分の手で、その不思議な空間を産みだしてみたくなる。
そう考えると、平凡な日常も決して悪くはない。
退屈だからこそ、エネルギーを溜め込み、何かを作り出すことができる。
退屈を怖がることは恥ずかしいことではない。
退屈を怖がらなくなることが、おそろしい。
千葉県の売春婦更正施設「かにた婦人の村」の創始者、
深津文雄氏はこう言ったという。
「テレビは強制的に貴重な時間を奪う。
貴重というのは、その時間にすばらしい事ができるのに、
というのではない。
退屈で不安な時を奪うからこそ、テレビは敵なのだ。
不安で退屈だから、人は考え何かをつくろうとする 」
テレビの功罪の話はひとまず措く。
不安で退屈だからこそ、何かをつくろうとする、
そういう考えを知ったとき、また戦慄を覚えた。
ちょうど自分も、とてつもない退屈を感じていたときだったから。
時が止まったような暮らしをしていたあの頃。
なんだか、世界の全てが停止して見えた。
いや、世界は動いていたのだけれど。
そこから置き去りにされたような感覚があって。
必死にもがいて世界につかまろうとして、
何かを作りだす方法を模索した。
たまたま、見つけたのが、ペンだった。
ペンを武器にして、ひとふんばりしてやろうと。
そう思って、退屈な日々に別れを告げた。
そして「どうせなら、不思議な場所を見まくってやろう」と考えた。
いろんな人がその人なりの不思議な場所で戦っている姿を、
ペンで切り取ってみようと。
そう思ったとき、自分にとっての不思議な場所が「取材」になった。
ある人や団体、物事に興味を持つ。
次に、それについての資料を集め、下調べをしておく。
なにかその実際のものを見る。
話を聞く。
そして、それらを文章に書き起こす。
この一連の流れが、なんだかとても好きになった。
今、一つの大がかりな取材と、小さないくつかの取材を
平行して取り組んでいる。
どちらも、知らない空間に踏み込んだ感覚を味あわせてくれる。
だが、単に違う世界を出入りするだけではない。
それには責任が伴ってくる。
ペンで記す、という責任が。
だからいつも、深夜に自分の部屋の一角をオフィスにして。
キーボードをカタカタ打っている。
隣にはたくさんのメモ書きしたポストイットと、
冷めてきたブラックのコーヒー。
それが、自分にとっての一番の“不思議空間”だ。
「退屈のおかげで、今の自分がある」
そう思えばやっばり、退屈も決して悪くはない。












