Home > ★落合 寿和/字幕演出家

2009/04/13

今回、少し番外編的なコーナーを挟みたいと思う。
JunkStage内で、私森田が人生で一番最初にインタビューした人物に、偶然再会したからだ。
 
落合寿和氏。肩書きは字幕演出家。
当時の私は、ライター業を志す学生だった。
ライターを学ぶための講座に通いながら、いつかいつかと息巻いていた。
その最後の卒業制作の課題として、
「自分で選んだ相手からインタビューして、3000字の記事を書いてこい」
と言われた。
それで選ばせていただいたのが、落合氏だった。
 
学校の課題のため取材は当然無償。優秀作は講座の母体の出版社が発行する雑誌に載るが、そんなのは一握りで、ほとんどの記事は日の目を見ないままになる。
そしてインタビュー術や記事を書く能力も、当然素人。
そんな貧弱な理由しか持ち合わせていない私の依頼に対し、落合氏はこちらが心配していたよりもはるかにあっさりと了承。「大阪から横浜は遠いですけど、よければ来てください」という返事が来た。
 
喜んだ私は、それから落合氏がそれまで字幕をつけた映画のリストを作り、レンタルビデオショップに駆け込んだ。
「この中で、あるやつ全部貸してください」
そのリストはあまりに大量で、それを見た店員は少し驚いていたが、それでも店内からあるだけの在庫を探し出してきてくれた。
そしてそれから一週間。バイトと授業以外の時間は、そのビデオをひたすら見る日が続いた。思えばそれが私にとっての、最初の取材訓練だった。
 
ではなぜ落合氏を選ばせていただいたか?
理由は一つではないが、一番大きなのは、当時再燃中だった映画の字幕問題だ。「ロード・オブ・ザ・リング」の字幕がファンの間で大きな物議をかもし出していることは聞いていた。そしてこの「字幕」というものに、ずっと問題提議を続けている落合氏の存在を知った。
「会って話を聞きたいな」
と純粋に思った。ひょっとしたら記事にできないかもしれない。それに書いたところで、優秀作には全然選ばれない可能性が高い。それでも、話を聞きたいと思った。
それまでの私は、「書きたい」という思いが強かった。いつかは文筆で身を立てていくのだという若さなりの野望に燃えていた。
そんな私が、書くより以前に話を聞きたいと思った。書く書かないの問題ではなく、まずたくさんの人の話に耳を傾けるというこの仕事が、いきなり好きになった。
 
 
取材は平日の昼からだった。
前の晩も映画を見て徹夜した私は、朝一の新幹線で東京に行った。東京・八幡山で落合氏の過去の取材記事を読むためだった。「大宅文庫」と呼ばれるその図書館は、今までの雑誌のほとんどが閲覧できる、稀有でありがたい場所だ。私は朝から昼前まで、落合氏が以前に取材された週刊誌の記事を読み漁った。
 
取材は一時間半ぐらいを予定していたが、落合氏の熱弁が続き、結局終わったときには日が暮れていた。新横浜から急いで帰りの新幹線に飛び乗った私は、最初の取材が完了した高揚感からか、疲れているにもかかわらずずっと取材の内容を反芻していた。
落合氏は、駆け出しですらなかった私に、結果として何時間もの時間を割き、その思いを語ってくれた。それがありがたかった。
大阪に帰ってきた私は、やはりゆっくり寝る時間などなかった。ひいひい言いながら記事を書いていくと、10000字ぐらいの分量になって驚いた。それをなんとか3000字に押し込めて提出した。そうやって書き上げた作品は結局は優秀作に選ばれず、落合氏のせっかくの発言を発表できないまま、私の卒業制作は終わった。
 
その後新たな就職先が決まり、ライターとしての仕事がスタートした。
いきなり多忙になってしまった中、私は取材時に落合氏に借りた資料DVDの返却を遅れてしまい、大変な迷惑もかけてしまった。
今では、いろんなことに気をつけるようになった、と思っている。
 
 
その落合氏が、この春からJunkStageで執筆を始めた
その久しぶりの偶然に、私は当時の気持ちを思い出した。
今から思えば、私の今に至るさまざまな経験や失敗は、ほとんどがあの時の取材から始まっている。
そう考えたとき、「あの記事をもう一度、JunkStage上で掲載しよう」と決意した。
もちろん字幕の情勢はあの頃から変化している。何より、当時の文章は今から見れば恥ずかしく、とても世に出せたものではない。
だから、書き直す。
書き改めて、今一度、落合氏の熱い思いを伝えたい。
 
 
というわけで。
次回、落合寿和様のインタビュー記事を掲載します。
ぜひともお読みいただければと思います。