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さて、前回は高校三年時に、思い立ってNYに旅だった話をご紹介した。その後のお話をば。
帰国した時、私は高校三年生の夏だった。7月あたりで、受験生にとっては、天王山と呼ばれる夏休みを眼前に控えていた。時は1998年の夏だ。
そして、私も一応受験生ではあった。しかし、NYをみた私の志向は大きく自由の女神によってゆがめられてしまった。そう、進路を留学に舵を切った。
それからは、大学の受験勉強を放棄し、留学への勉強をすすめた。
そして、私の高校からは1名だけアメリカに留学することになった。そのような案配だから、高校に助けをもとめても何ら有用な情報はあらず、自分自身で、留学方法を探すしかなかった。
学校の選定、申請方法の確認、申請業者との折衝、申請書類の作成などなど多くの方々のサポートによりついに実現。1999年の4月に私は再度、NYの地を踏みしめることになる。
今回のお題はこちらだそうです。Apple社とジョブズ。固有名詞はなかなか逃げにくいので、歯ごたえがありますね。
さて、ジョブス。個人的に、尊敬する経営者を5人あげろ、と言われるとやはりこの方は入ってしまうかと。他は、ベタに孫さんとかブランソンとか。まぁ、クレイジーな方々が好きということですね。
で、この人も他のアウトローに違わず、もうぶっちぎっちゃっているわけで。そういう方が、このようなCMを作りました。
クレージーな人たちがいる。
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
四角い穴に、丸い杭を打ち込むように
物事をまるで違う目で見る人たち。彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。
彼らの言葉に心をうたれる人がいる。
反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
しかし、彼らを無視することは誰にもできない。なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。
彼らは発明した。創造した。
人の心をいやし、奮い立たせてくれた。
彼らは人間を前進させた。彼らは人と違った発想をする。
そうでなければ、何もないキャンバスの上に
芸術作品は見えてくるだろうか?
静寂の中に、今までにはない音楽が聞こえてくるだろうか?私たちは、そんな人たちのための道具を作る。
クレージーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えているのだから。Think different [ Apple Computer 1997 ]
「お前がいうな」的なニュアンスもありますが、彼が言うからこそ、この言葉もおもみをますのかもしれません。
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NYの話も飽きてきましたね。最後にしよう。
1999年の夏のNYで得たこと。ポイントだけ。
・人生初のスターバックスにいった。フラプチーノのヴェンチ(一番大きいの)に感激して、一気に三杯飲んだら、店の人が感銘してた。
・ゲイの方におそわれた。なんとか貞操は守ったが、世界は広い、と思った。
・五十嵐さんというアウトローな方にお会いしたら、ピープ屋にいこうと連れて行かれる。そこでは、店の黒服に腕時計をとられそうに逃げる。
・野宿に限界がきた。というのも荷物を全部もちながら歩いていたらスコールがきて、荷物すべてがびしょ濡れ。さすがにこたえた。そして、ホテルに飛び込んだはいいものの、国際電話で1万円チャージ。ベタな話ですが。
・結局、ドミトリーに落ち着く。一人旅は、ホテルよりもドミトリーが良い。チンさんという人から某国にある人間動物園の話を聞いて、世界は広いなぁ、と改めて思う
・ミュージカルで出会った人からドミトリーに絵はがきが届く。絵はがきっていいわね、と思う。
・メトロポリタン美術館はでかい。
今回のテーマは「男女」。なかなか厄介なテーマである。
男女の違い、男女の傾向、男女の特性などといった対比がオーソドックスだけど、そういうのはいくらでも世の中に溢れているので、他の切り口を探す。
と、考えたけどいいテーマがないので、男女の違いに関して。
女性はタフである、という。本当かどうか知らない。また、フィジカル面かメンタル面かによっても異なるだろう。
ただ、一般的に、女性は切り替えが早く、また、辛いことへの耐性が強いと聞く。その理由としては、女性はタフでなければ、出産時の痛みに耐えきれないからだ、という話を聞いたことがある。ほんまかいな、と思うけれど。あと、性的快感が女性が高いのは、同じ理由だと聞いたこともある。男性が出産を経験すると、痛みで死ぬとか。ふむ
恋愛においてもその違いは有名で、かのテーゼ、「男性は別名保存、女性は上書き保存」と呼ばれるように、男性は過去の恋人を綺麗に箱にしまって貯蔵しておくけど、女性はさっさと切り替えてしまう。そこで、男女の悲劇はよく起こるのだけど、まぁ、それは別のお話。
このように、いま思い出した中でも、男女というのはけっこう異なる。他にも、「地図の読めない/話を聞かない」という男女の違いの本もよく売れた。脳内の弁が違ったという分析だった気がするけれど、これも本当かどうか知らない。
ただ、これは「生物全体」から分析して、「本質的な違い」になるかというと、やはり別の話になる。つまり、結局、人間たるもの男女は違っても似たようなもので、根本的な違いはなく、ある程度の傾向としての差異が存在するだけだ、というような。
ただいつも思うのは、男女兼用のトイレを使う時に、便座をおろすか、あげたままでいいのかはいつも悩む(マナー的には前者だけど、世の中はそれほどシンプルでもない)。
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さて、ミュージカルのチケットを買いに、WTCのチケット売り場を訪れた私。
平日の朝だというのに列が出来ている。40人くらいだろうか。そこの最後尾に私は並ぶ。そして、地球の歩き方をぱらぱら眺めながら順番を待つ。ふと気づけば後ろに人が並んでいた。当たり前だ。列だから、自分が最後尾でない以上、常に人は続く。
残りが20人くらいになった時だろうか。その人は、日本人だということに気づいた。そして女性。そして1人。思わず、私は声をかけていた。
すいません。おすすめのミュージカルってありますか?
その人は何かミュージカルのパンフレットをよんでいた。そこで、その人はミュージカルに詳しいに違いない、と私は思ったのだった。
その時にその人が何て回答したのかしっかり憶えていない。たしかその人はミスサイゴンを見る予定で、そして私はなんでもいいので空いているチケットを選ぶ予定だった。
その人は、初心者ならキャッツで、他にはブラブラといったアドバイスをくれたように思う。そこで、私はキャッツを買おうと決めた。恋愛のセオリーならば、そこで相手と同じチケットを買うものなのかもしれないけれど、そもそもベトナム戦争よりは猫の方が興味のある年頃だった。
しかし20人の列が減っていく間、少しの会話を交わした。そこで、わかったのだが、その人は私が前日に自由の女神像で出会った女性2人の連れだったのだ。それで話が弾み、またどこかでランチでも、といったリップサービスを違いに交わして、私たちは別れた。本来ならば、そこで、もう会うこともないはずだった。
その後をはしょって説明すると、これまた少しばかりの偶然で再会し、先方の連れと食事をし、そして、その人に文章の使い方を教えてもらうことになるのだが、それはまた別のお話。
NYの話を続けます。いささか冗長になってきたな。
今回のテーマは「都会」。
都会ときくと、NYが思い出されるが、日本においてはやはり東京だろう。東京外出身の私にとって、「東京タワー」は、それなりの思い入れがある。憧れににも似た淡い恋心というような。さしずめNYならば自由の女神なのだろうけど。
そういうわけで、東京タワーの近くに住み始めて、もう6年ほどになる。最初の東麻布は、歩いて5分ほどの距離だった。疲れた時には近くを散歩しながら、東京タワーを眺めていた。あるいは、芝公園を走りながら、それを追いかけていた。お茶の水から歩いて帰る時も東京タワーを目印にして歩いた。これはさしずめNYにおけるWTCのような存在だったのかもしれない。
それから、今でも、オフィスから見える東京タワーは私の日常に組み込まれ、色の変わる彼/ないし彼女を日々、飽くことなく眺めている。
都会には、何かしらそのようなシンボルタワーがあるものかもしれない。たとえば、大阪の通天閣や横浜のランドマークタワー。海外だとパリのエッフェル塔、イギリスの時計台(ビッグベン)。もちろんないところもあるだろう(ドイツや名古屋にはあるのだとは思うけど僕は知らない)。
なぜそのようなものがしかるべくあるのかはわからない。確率論的に「高い建物」は存在し、都会には結果的に高い確率で存在しているだけなのかもしれない。あるいは、人は高いものが好きなので、最初にそれがあって、そこに町を作ったのかもしれない(これはありえないけど)。
あるいは、高いものがあるところを人は都会と呼ぶのかもしれない。
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前回はNYにいって自由の女神をみて、日本人と出会ったという話を書いた。今回はその続き。
その夜は、私は、相変わらず宿がなかったので、映画館で寝ることにした。ちょうどその頃、Gozillaが映画館でやっていた。ヒゲのオッサンが走り回っていて、いまいちだった記憶がある。
そして、25時くらいに映画が終わり、映画館で寝ていた。すると3時ごろに、警備員に起こされた。どうやら映画館は24時間ではないようだ。
そして、夜中の3時にマンハッタンに放り出される私。足下は健康さんだる。そして、荷物一式のリュックサック。もうホームレスの方のような身なり。
しかし、とはいえさすがにマンハッタンの路上で寝るわけにもいかないので、寝床を探す私。ホテルを探すという概念は全くなかった。結局、M字開脚を象徴するMの文字が煌々と光っているのを発見。我らがバックパッカーの救いの地、マクードナルドである。
思わず飛び込み、ダイエットコークを購入し、ソファで寝る。しかし、24時間営業のマクドも実は24時間ではなかった。朝5時ごろに、「掃除をするから出て行け」と放り出される。24時間というのは嘘だったのか!
それでも、喧嘩してもしょうがないので、とぼとぼと歩き続ける私。ミッドタウンから、気づけばセントラルパークへ。5番街を北上する。ゆっくりと朝日が昇り、町には朝が訪れる。
そして、見かけたカフェに思わず飛び込む私。理由はトイレにいきたかったから。そこで、オムレツとトースト、薄いアメリカンコーヒーのゴールデントライアングルを胃の中に流し込み、私のマンハッタン3日目が始まった。
さて、どこにいこう、と考えた時に思い出したのが、前日あった日本人の方がいっていた言葉。「私たちの友達の1人はミュージカルが大好きで、今日も自由の女神をみずに、そっちにいってるんだよねー」。
そして、私はミュージカルのチケット売り場に向かうために、今はなき、ワールドトレードセンターに向かうのであった(当日販売権は安く売られており、その売り場は、マンハッタンの有名どころで2カ所。1つはWTCで、もう1つはミッドタウンのタイムズスクエアあたり。今はしらない)。Tktsだったっけ?
続く
ヒミツと聞いて思い出すのは、東野圭吾の小説「秘密」。たしか映画では広末涼子が演じていたような記憶があるけど見ていないので知らない。しかも、この小説で話をふくらませられないので、終わる。
秘密秘密。
男女において、秘密というのはある種のスパイスになるという俗説を聞いたことがある。オープンな夫婦やカップルでも、全てをオープンにしてしまうと、逆におもしろさがなくなるというロジックだ。互いに知らないことがあった方が、永続くする、というようなものだった期がする。
これはいかんせん、あまりにも短絡的で表面的だけれども、ただ、個別論として、時に「恋人の秘密」というのは、魅惑的になるのも事実である。たとえば「自分の知らなかった一面」を見るというケースが想定できる。自分の属するクラスターとは別の世界、たとえば恋人の高校時代のクラブ活動のチームの中では恋人は、実は尊敬される先輩なのかもしれない。あなたの前ではドジなその人は、実は崇拝をウケル対象だったのかもしれない。あるいは、ふと公園で転がるサッカーボールを器用にリフティングする恋人を見て、意外な側面にあなたは新鮮さを感じるかもしれない。
また、疑惑を生む秘密だってあるだろう。よくある二流ドラマ的な小道具でいえば、いつもと違う香水や、なぜか結び目がかわったネクタイのような秘密への戸口。時にそれが相手への疑惑となり、結局のところ、秘密はパンドラの箱となり、希望を得ることができるかのタイトロープダンシングへ誘われることとなる。
しかし、それでも、秘密はもっておくべきだろう。特に過去に関してはそうだ。「友人の話」によると、過去の恋人の話をしてよかったことは一度もない、と彼は言う。これはたまたま男性のケースだが、女性でも同意見をもらえるかもしれない。
過去の恋人に嫉妬され、ちょっとした発言が問題をうむ。性癖が、よからぬ邪推を呼び、そしてちょっとした仕草が禍々しい行為に繋がる。そんな厄介な過去は全て秘密の箱に閉じ込めて、墓場までもっていった方が良い。
世界がオープンソースで出来ているからとて、イントラネットが公開されることはないように、そこにはちゃんとファイアーウォールを忘れぬよう。
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前回は初めてNYにいって、ベーグル屋にいったところまで。
その後、とりあえず向かったのは、自由の女神クルージングだった。NYといえば自由の女神、あれは見ないと帰るにかえれん、と思ったのは自然の道理。普通に考えれば、その前に宿とれよ、と思うのだが、まぁそれはそれで良い。
そして、相変わらずの健康サンダルと、リュックサック(この旅の荷物全部)を持って、私は、自由の女神の船の乗り場に向かった。チケットを買って、ノル時に写真をとられて。なお、この写真は帰り際に見せられてちゃっかり買わされてしまった苦い思い出がある(買わなければいけないものだと思っていた)。無知は怖い、いいカモであった。
いずれにせよ、フェリーに乗った。そのフェリーは1時間ほどかけて、NY島を一周するものだったと思う。正直、よく憶えていない。ただ当時の写真を見ると自由の女神がうつっている私の写真があるので、おそらく自由の女神をみたのだろう。
では、この写真はいったい誰が取ったのか。自分撮りという風情のあることをしていなかった私は、誰かに写真をとってもらう必要ができた。しかし、私自身はこういった「自分の写真」には興味がなく、別段、とりたいとも思わない(世界一周した時は1枚も自分の写真をとっていない)。では誰がとったのか?その答えに至る前に話を戻そう。
フェリーにのりこみ、いちびりだった私はルーフの端に腰掛けた。すると、隣には妙齢の日本人の女性の方が座ってらっしゃった。話かけたのは私だったか先方だったか憶えていないが、おそらく私なんだろう。2人と1人で、リスクを取らなければいけないのは1人の方なのだ。
2人は企業研修でこちらを訪れているとのことだった。1週間の旅行。3人できたのだが、1人の方はミュージカル好きということで、ミュージカルを見られているとのこと。
ふむふむと話を聞きながら、フェリーの時間はあっという間にすぎ、そして私は喧噪あふるるミッドタウンに戻っていった。
そして、この出会いがちょっとした奇縁をうむのだが、それはまた次回に!
前回は思いつきでNYに向かった時の話まで書きました。高校3年生の夏。受験の山である夏休み直前の一学期末。
健康サンダルで、少量ばかりのお金を握りしめて。
さて、関西国際空港から私はNYに向かう。当時、一番安い航空券を選んだのでKorean Airだった。そのため、ソウル経由。隣には女性が座っていたことだけ憶えている。逆に言うとそれ以外はあまり憶えていない。飛行機は初めてじゃなかったような気がする。
本をむさぼり読んで、あとはひたすら寝ていた。その頃から、飛行機内ですることは変わっていない。睡眠の比率が多くなったくらいだ。ひどい時だと、搭乗して座った瞬間、眠りに入り、ランディングの音で起きたということも何度かある。飛行機内で起こされずに眠るには、「シートを下げない」「アイマスクをする」「食事はいらないと伝えておく(でないと起こされることがある)」「窓際にいる」など、いくつかの厄介な対策が必要なのだが、まぁそれさえうまくいっておけば、飛行機は苦になることはない。周りでは、エコノミーだとツライから云々という話はよく聞くものの、私にとっては睡眠をどこでとろうと変わりない。
さて、そうしてNYに降り立った。NYでは、ラガーディア、JFK、ニューアークと3つの空港があるのだが、どこに降り立ったかは記憶にない。ただ、入国の時におきまりの「サイトシーイング」とつぶやいて、アメリカの地に降り立ったことだけど憶えている。また関空で両替したドルの肌触りがなんだか気持ち悪くて、くしゃくしゃにしてポケットに突っ込んだ。
空港に降り立った時は夜だった。そして、私は宿を押さえていない。そもそもNYに行く方法もわかっていない。そこで出来ることはただ1つ。朝になるのを待つ、というだけだ。
この教訓はその後、海外周りをした時にも役だったのだが、海外では暗いうちに動くのは非常に危険である。ジンバブエやブラジルでは17時以降は外に出るな、と散々言われ、また実際、夜に歩いているだけでおそわれたという人に数人に合った。
そこで、私は空港のベンチに腰を下ろし、当時、日本では見ることのなかったペットボトルの自動販売機(コカコーラ)で、これまた日本ではあまりなかったダイエットコークを買って、そして物珍しさからゴシップ雑誌を買って、ひたすら空港で眠った。掃除のおじさんがうるさかったのを憶えている。
朝になり、電車でNYに向かう。なお、NYとはすなわちマンハッタン。現地に住む人はcityと呼ぶ。
そこから私が向かった先。それは本能の赴くまま。すわなち飢えた食欲を満たすことだった。
地球の歩き方で見かけたベーグル屋(多分、20から30stの間の4thと5thの間くらいだったと思うが、当然、当時の私は空間処理能力はない)。で、ベーグルを購入しに向かった。
その時は1998年だったかな?日本でベーグルはまだまだ浸透してしなかった頃だ。
しかし、頼むのも厄介だった。当時の私は、ベジタリアンだったため、Vegitable Bagelを頼もうとしたのだが、Vegyの発音がどうもうまく行かない。今から考えると自分自身、多少の恥ずかしさと懐かしさがこみ上げてくるが、その時の私は必死だった。
勢いでベジ-ベーグルを頼み、それを食べたことがうまかったこと、うまかったこと。今でもあの時のうまさを超えるべーグルには合っていない。
さて、また続く。










