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2010/09/19

7年間の旅を終え、2010年6月に地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」の観測紀行文を2回に渡ってお伝えします。

2001年4月にハヤブサ・チームにポスドク(宇宙科学研究所・プロジェクト研究員)として入隊した博士号取り立ての私は、探査機搭載機器(近赤外線分光器; NIRS)、及び地上ソフトの開発に従事した。宇宙研とメーカーさんの工場で明け暮れた2年間。そして2003年5月9日、紅蓮の炎に包まれながら、鹿児島県内之浦の青空を突き抜け宇宙へ旅立つ君を「いってらっしゃい、再見!」と見送った。打ち上げ成功後間もなく、私も有無を言わさず、見事に宇宙研から打ち上げられてしまった(失職Orz)。運良く日本学術振興会・海外特別研究員に選抜され、小惑星に到着するまでの2年間は、欧州・チェコ、プラハ郊外のオンドジェヨフ天文台の研究員になれた(チェコでは、流星とPivoの研究を行っていた)。チェコ滞在中もハヤブサ・チームと連絡を取りつつ(クルージング中のデータ解析とかしつつ)、小惑星到着を心待ちにした。ハヤブサの小惑星イトカワ到着の目処が立つと、神戸大学・大学院・惑星科学研究科COEプロジェクトからハヤブサ探査機搭載機器LIDAR(レーザー高度計)のデータも扱える人材の公募が出され、採用に至った。2005年8月に神戸大学に赴任し、神戸大がサイエンスを担当するレーザー高度計(LIDAR)と(開発責任者; ISAS・水野貴秀先生)、当初から携わってきた赤外線分光計NIRS(開発責任者; ISAS・安部正真先生)を担当することになった。臼田局を経由して送られて来るハヤブサLIDARからのデータ処理を行うソフトを作り(NIRS-QLをうまく移植した)、12月初旬までの3ヶ月間、特等席で小惑星イトカワ探査に携わった。その間は、引越先も決まっていなかったので、24時間宇宙研に “住んで” いたのである。みなさんがご存知のような数々のトラブルを乗り越え、7年の宇宙の旅路を終えようとする君を迎えるため、2010年6月、私は台湾から日本を経由してオーストラリアの地の果てへと向った。

ハヤブサの地球帰還カプセルは、地球周回軌道に入らずに、惑星間軌道から直接大気圏へ再突入を行うため非常に高速で地球大気に衝突する。これは天然の流星の対地速度(秒速12km〜72km)と比較した場合、小惑星起源の隕石のような、非常に遅い流星(隕石火球)の速度に匹敵する。はやぶさ帰還カプセルが受ける加熱はスペースシャトルの帰還時に受ける加熱のおよそ30倍。過去にこのような高速度での大気圏再突入を行った宇宙ミッションとしては、「ジェネシス」(NASA、2004年9月再突入)と「スターダスト」(NASA、2006年1月再突入)がある。日本の探査機としてはこのような(第二宇宙速度を超える)速度での大気圏再突入は初の例である。ハヤブサの地球帰還カプセルの実験機であった宇宙科学研究所の「DASH」は、2002年にH-IIAロケット2号機を使って打ち上げられ分離される予定であったが、分離に失敗し実験は失敗に終わっている。つまり、ハヤブサの地球帰還カプセルは、検証なしの一発勝負であった。なお、「再突入(re-entry)」という用語の「再」は、突入する物体が、もともと地球から打ち上げられた物体であることを表している。流星や隕石など、もともと地球外にあった物体が地球大気圏に突入する場合は、単に「突入(entry)」という用語を使用する。

実は、私はハヤブサ以前に2度、地球帰還カプセルの観測に参加したことがある。2003年5月末に小笠原沖(グアム沖)に帰還した経済産業省の「USERS」カプセルと、2006年1月中旬に米国ユタ砂漠に帰還したNASA・彗星探査機「スターダスト」のカプセルである。「USERS」の時は、航技研(現JAXA)の藤田和央先生の指示のもと、航技研(現JAXA)の柳沢俊史先生らとともに小笠原諸島・母島担当になり、父島の山田哲哉先生(ISAS)、矢野創先生(ISAS)らと2点観測を行うために、南海の孤島に想定外の半月ものあいだ閉じ込められた。カプセルは無事に回収されたものの、残念ながら観測は悪天に阻まれるという結果に終わった。しかし、高速移動する地球帰還カプセルの地上観測を行う上での数々の議論と準備、そして、僻地でカプセルを待つ忍耐力は、後にハヤブサに生かされることになる。また、イルカとの交流、ウミガメ産卵の手伝い、第二次大戦中の “戦闘壕” 探検などの貴重な経験も積んだ。一方、NASAの彗星探査ミッション「スターダスト」では、国立天文台の渡部潤一先生、理研(現名古屋大)の海老塚昇先生、ISASの矢野先生、神戸大の向井正先生らの協力・支援のもと、高知工科大の山本真行先生とNASA-DC8航空機に搭乗し、紫外線分光と撮像観測を成功させた(NASA機に搭乗するのは、1999, 2002年しし座流星群以来だった)。夜間にどのようにカプセルが地球に突入してくるのかとい う “観測経験” を持っていたので、ハヤブサへのイメージは既にできていた。ただし、ハヤブサの場合、探査機本体も超高速で突入するという未体験大火球が予想された。

流星や隕石、帰還カプセルは大気圏内において、大気との高速衝突によりプラズマを形成し発光する(「大気との摩擦で熱くなって燃えて光る」という表現は比喩的なものであり、科学的には正確な表現ではないが)。 しかしながら流星や隕石火球の発光メカニズムは完全には解明されていない。「分光(光を虹色に分散)」は、突入物質および地球大気分子がプラズマ化する過程の時間変化を調べることを可能にし、発光の物理・化学的なメカニズムを理解する上で重要な観測手段となる。また、「撮影」により大気減速するカプセルの地球大気中での軌跡、および地球大気突入直前の軌道推定を行うことが可能になる。天然の流星や隕石衝突は、いつどこに発生するか予測できないため、このような精密な観測が行える機会はほとんど無い。また、流星や隕石物質は、地球に突入する前の元々の形状、大きさ、質量、化学組成などの不確定要素があるが、ハヤブサの地球帰還カプセルは全てのパラメータが既知のいわば「人工流星(人工隕石)」であり、「予測された地球衝突物体」に見立てることで、流星、隕石や小惑星の科学研究にとって貴重な観測データを取得できることが期待された。

ハヤブサ回収隊は宇宙航空研究開発機構(JAXA)が組織したもので、オーストラリア南部の砂漠地帯において、「はやぶさ」の帰還カプセルの回収と大気圏への再突入の観測を行った。カプセル回収隊には、カプセルの着地した方位を探知するDFS班(Direction Finding Station; 電波方向探査局)、実際にカプセルを捜索し拾いに行く回収班、突入の火球を記録する光学班とこれら全ての班をまとめる本部がある。皆それぞれの役目を担っているが、JAXA・藤田和央氏を中心した16名の「光学班」は、科学的な目的を掲げた各種観測(軌道決定および広報用の撮影、カプセルと探査機の分光、衝撃波に伴うインフラサウンドなど)を実施した。私が率いる地上観測班・分光チームは、阿部新助(台湾 國立中央大學 天文研究所)、飯山青海氏(大阪市立科学館)、柿並義宏氏(台湾 國立中央大學 大空研究所)、鈴木雅晴氏(五藤光学研究所; 国内支援)のメンバー4名で構成され、2地点に分散して立体観測を実施した。プラネタリウム「HAYABUSA Back to the Earth」の総合プロデューサーである飯山氏とは、学部1回生からの悪友(天文同好会の流星観測&酒飲み仲間)でもあり、観測経験と技量を熟知していたので、今春になってから急遽メンバーに加わって頂いた(結果として、ハヤブサ地球帰還観測を成功させ、日本帰国後に関西圏でのハヤブサ広報に大活躍することになる)。

6月1日、15kg分の超過料金4万円をカンタス航空に支払い成田でチェックイン。ハヤブサ関係者が多数を占める機体は、シドニーを経由して、6月2日朝にアデレードに到着。カンガルー避けの立派なバンパーのついたランクル4台で、機材と食料の買い出しを繰り返しながら陸路を300km移動し、すっかり日が暮れてからポートオーガスタに辿り着いた。南十字星と初めて見る南半球の星空に、疲れも忘れ暫し言葉を失い仰ぎ立ち尽くした。6月3日、ポートオーガスタの町を出て、砂漠の景色が何処までも広がる道を快適に進む。ロケットの街ウーメラに到着し、JAXA隊本体と合流。長距離移動したので、日本から輸送してきた機材のチェックを行う。その晩は、地の果てで自炊を余儀なくされる我々タコーラ(Tarcoola)班の料理長に任命した飯山氏による食事(オージービーフ)が振る舞われ、隊員が必要な食材の量と、関西-関東人混合隊による調理の味見がテストされた。

6月4日、全打(全体打合わせ)および、ウーメラ立入り制限区域内内(WPA)での注意事項、野生生物の危険についてのレクチャーを受け、WPA内へ移動。WPAの倉庫に、船便で運ばれて保管されていた機材の開墾を行った。ハヤブサ機材倉庫に営巣していたつがいの「隼(ハヤブサ)」が我々を迎えた。これは何と幸先が良いことか! 出立前の全体晩餐会がウーメラで行われた。6月5日、各地へ向けてそれぞれの隊が移動を開始。藤田氏率いる光学班は、グレンダンボへ移動。夜間走行は野生動物(カンガルーやエミュ、羊、牛などが多数生息)との遭遇・衝突による危険性が増し、また、グレンダンボから先のダートは、車の故障は即生死に関わるので、必ず2台以上の車で昼間に行動しなければならない。分光班(阿部・飯山氏)、軌道決定班(JAXA・黒崎氏、九州大学・シューメーカー氏、日本流星研究会の上田氏)の5名が車2台に分乗して、いよいよ未舗装路へ突入した。途中、アボリジニが住む村(キングーニャ)を過ぎ、恐怖すら覚える地平線まで続くダートを130kmも突っ走った。我々が到着したのは、世界で一番人口の少ない町(ゴーストタウン)である。我々の到着により、人口が2倍に膨れた(つまり人口5人)。お世話になるキャロルさんに挨拶し、住まわせてもらう離れの家を案内してもらった。廃墟となった病院や、町外れには金鉱跡がある。2kmほど離れた丘に登ると、カンガルーが我々を迎えてくれた。「カンガルーの丘」と名付けたその丘から360度の地平線を臨む。人口音、人口灯は皆無である。さあ、ハヤブサ地球帰還を、地上の最果ての地で迎える準備だ!

6月6日から1週間は、本番のタイムラインに沿った観測、データ送受信、画像と映像の速報配信の手順を繰り返しながら、13日の本番を待った。食料の買い出しを見込んで持参した食料には限りがある。しかし、食料調達が想像以上に大変だということを現地に到着してから認識した料理長・飯山氏から振る舞われる食事量は、戦時中のように(戦時中を知らないが)質素だった。しかし、栄養バランスはちゃんと考えられていたようだ。結局、キャロル家からの支援もあり、買い出し無しで食料が足りる見込みがたつと、それなりに満足行く分量に変わって行った。生活水は全て雨水。砂漠の粉末状の赤土が混ざっているためか茶色である。洗濯機で洗濯すると、白いシャツが薄茶に変わった。キャロル家には、娘さん一人、孫のキャメロン(6歳)、ドゥリュー(6歳)、ルーク(2歳)がいた。最寄りの街まで車で3時間もかかる場所に住む彼らは、衛星インターネットを使って授業を受けている。キャメロンとドゥリューが、オーストラリア式のフットボールを教えてくれて、いっしょにプレーした。既に亡くなった祖父は、タコーラの駅長だったそうだ。ここは、西はパース、北はアリススプリングへ向う線路の分岐点になっている。実際、長さが数kmに及ぶ貨物が一日に何度か通過し、2-3日に一度客車が通過して行った(乗降はできない)。

1995年11月21日未明、ウーメラ(WPA)テストレンジから打ち上げられた観測ロケットは、270秒後に高度272kmに達し、搭載機器(NASA Black Brant 36.126 UG)により紫外線領域で銀河系の観測が行われた。そして、打ち上げから811秒後、ペイロードとパラシュートがタコーラ村に落下した。落下の衝撃音を聞いたタコーラ駅長は、翌朝ペイロードとパラシュートを付近で発見し、NASAから表彰を受けた。地面との衝突で凹んだペイロードが入っていたノーズコーンが、庭のオブジェとして飾ってあった。奇麗な状態で回収されたパラシュートも見せて頂いた。ハヤブサよりも前に、宇宙からここタコーラに帰還していた物体があるとは驚いた。そして、この事件がWPAのコーディネーターとの交流のきっかけとなり、今回の我々の滞在先としても快く受け入れて頂けたのである。せっかくの機会なので、タコーラの全住民5名を集めて初等天文学の特別生授業を行った。我々がタコーラへ来た経緯も説明した。子供達からは質問が沢山出た。中でも小学校4年生のキャメロンは、目を輝かせながらとても熱心に聞いていた。「太陽系がどうやって生まれたなんてどうして分かるの?」というキャメロンの質問には驚いた。夜は家の前で、満天の星空にレーザーポインターを差しながら星星の説明をした。中国から伝わった織女-牽牛物語も教えた。南十字星付近の天の川には、どうしても目が奪われ、(ギリシャ神話も無いので)ただただ茫然自失するだけだ。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」では、北十字(白鳥座)から旅が始まり、天の川を下り南十字(南十字座)で終わる。世界一小さな町に暮らすオーストラリアの分岐駅タコーラが、7年間の旅路を終えたハヤブサの終着駅になろうとは、彼らにとっても忘れられない出来事になるだろう。

(つづく)

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片道約700kmの陸路を移動。何処までも続く路は、遠近感を無くし眠気を誘う。山羊、エミュ、カンガルーの突然の出没は緊張する。良い眠気覚まし?

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ハヤブサ機材倉庫に営巣していた「ハヤブサ」。写真は雌。小振りだが、羽を広げると巨大なハヤブサとなる。

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最初は質素だった自炊した夕食メニュー。小生は、ペペロンチーノとブランボラーク(チェコ風お好み焼き)を担当。

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洗濯機内の水も茶色だった!

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私と飯山氏で運用した観測機材群。分光および撮像カメラ3台を同架させてハヤブサを追尾。2人で合計9台のカメラを運用した。

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リハーサル観測風景。

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タコーラの住民に天文学初等レクチャー。

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タコーラに落ちてきたロケット・ノーズコーンは、ウーメラから打ち上げられたものだった。ノーズコーンとパラシュートは、NASA/豪州からもらったそうだ。

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ウーメラで星空案内をする大阪市立科学館・飯山氏と、本職の解説を楽しむJAXAの面々。ウーメラにて。

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タコーラ滞在先の庭先にて。晴れると想像を絶する天の川が広がる。ハヤブサの終着駅には最高の場所である。

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分岐駅「タコーラ」は無人駅。かつては駅長の仕事だったが、現在は衛星電波でポイントが切り替わるようになっていた。

2010/09/19 09:34 | 天文・宇宙, | No Comments