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2012/04/11

北朝鮮がいよいよ「ミサイル」の予行実験を行う.ロケットかミサイルかは,ペイロードに積まれているものが「衛星」か「弾頭」かの違いだけであって,北朝鮮の場合は核弾道ミサイルの予行と言ってよい.

沖縄島・宮古島・石垣島にPAC-3が配備された.習志野駐屯地にもPAC-3が配備されているが,配備された2007年には一悶着あったようだ.

 

パトリオットを実際にライセンス製造しているのは,H-IIAロケットも作っている三菱重工業である.本当に命中率は8割もあるのかは疑問だ.湾岸戦争では,PAC-2の命中率は9%という実績からして,5割ぐらいじゃないかと推測.地対空誘導弾パトリオットを中国語では,「愛國者飛彈」と呼ぶ.「愛国者のミサイル」がどれだけ国を守れるかは,大いに疑問だ.

なぜなら,PAC3の射程は20~30kmしかないので,沖縄地方で使うことがある場合は,北朝鮮のミサイル或は空中分解した残骸がその場所目がけてに落下してきた場合でしかない.しかも,残骸はそのまま地上に落ちて来る.軌道がそれて台湾やフィリピンが危なくなった場合,弾道飛行中を狙って落とせるのはイージス艦搭載のSM-3だけでは? PAC3は,ピンポイントで狙われた時に大惨事を誘発する「原発」にこそ配置すべきじゃないかね?

ちなみに台灣はPAC-2弾を数百発とPAC-3ミサイルユニットを米国から購入している.これは,大陸が福建省から台灣に向けて短距離弾道ミサイル「東風-11」2000発を配備していることへの対抗処置.

 

北のミサイルの打ち上げ予定は,
予定日;2012年4月12日~16日
予定時刻;7:00-12:00(現地時刻)=6:00-11:00(日本時間)

 

観測屋としては念のため,台湾の流星観測ネットワークのメンバーの協力で,この時間帯もカメラを稼働させることにした.2010年10月1日に中国の月探査機「嫦娥二号」は,長征3号Cロケットで西昌衛星発射センタから打ち上げられたが,その予定軌道はもろに台湾上空を通過していた.台湾ではニュースにもなっていなかったのが,念のため流星カメラで狙っていたところ,東向きのカメラに第二ロケット(エンジン・ブースタ)が大気圏再突入している様子が動画で捉えられた.また,ロケット本体は写らなかったが,ロケットが成層圏~中間圏に残したと思われる拡散雲が全天カメラに写った.台灣・宜蘭縣では,この火球が多数の住民によって目撃されていた

 

 

今回の北のミサイルの飛翔予定軌道から,1段目ロケット(エンジン・ブースタ)は黄海上に,2段目はフィリピン・ルソン島沖に落下する見込み.今回は昼間の打ち上げのため観測条件も悪いが,果たしてどうなるか.

 

2012/03/13

東日本大震災から一年が経ちました.亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに,被災地が復興へ邁進し,被災された方々に本当の笑顔が戻る事を心より願います.

2012年1月27日,旧正月休みで台湾から帰国した小生は,池袋発の夜行バス「釜石気仙ライナー」に一人乗車した.仙台の阿部一族の元へ帰省する前に,津波被災地をこの目で確かめてみたかったからだ.ただ被災地を訪れるだけの物見遊山にはなりたくなかったので,ボランティア活動に参加することにした.もう一つ,台湾は震災後に200億円を越える世界中で最多の義捐金を集め,震災発生直後から支援物資の支給や現地での支援活動も行っている.東京都(人口1318万人)が約9億円の義援金を集めたのに対し,人口2315万人,平均月収10万円足らずの「国交の無い」台湾からこれだけの支援があったのだ.小生の台湾人・老婆もワールドビジョンで活動を行っており,日々仕事(研究)にばかり没頭している小生も,現地で何か役に立ちたいという気持ちがあった.午後11時発の夜行バスは満員だった.それぞれの人生を乗せたバスは,都会の喧騒から一路北へ向った.この冬一番の寒さだった.

 

午前5時過ぎ,白み始めた車窓のカーテンを引くと,荒野と化した海岸線をバスは進んでいた.凍結した窓からぼんやりと臨む景色は,まったく言葉を失う別世界だった.午前6時に岩手県・陸前高田市役所仮庁舎で下車.津波被害によって市庁舎を含む市の7割以上が被害を受けた陸前高田では,海岸から3kmほど離れた丘の上に昨年5月,仮庁舎が設置された.バスを降りた若い女性グループがいた.彼女らは定期的に陸前高田を訪れているボランティアとのこと.地元の車がお迎えに来ていた.ボランティアセンタを通さずに,個人で活動しているこういう素晴らしい方々も多くいるのだろう.また,車中で小生の隣席にいた東京在住の男性は,津波被災地の見学の為に来たとのことで,海岸目指して丘を下って行った.小生は仮庁舎から更に内陸へ7km離れた陸前高田市災害ボランティアセンタへ向けて,仙台帰省のための荷物を背負い歩みを進めた.温度計は氷点下10℃,まつげも吐息の水蒸気で凍った.気仙川に沿って上流へ向ったが,かなり上流の橋桁なども落ちていて驚いた.ボランティアセンタ付近でも遺体が見つかったと現地の方から聞いた.内陸部にはコンビニや商店なども営業しており,復興作業員らしい人々が大勢いた.午前8時半の受付開始の1時間前には陸前高田ボランティアセンタに到着.眠れなかった夜行バスの疲れも重なり,これからボランティア活動だというのに既に体力を消耗していたが,陸前高田市災害ボランティアセンタ(以下,ボラセン)の熱気で一気にやる気が出てきた.ゴム手袋,軍手,防塵マスク,作業着,安全靴(金属製中敷き長靴),防塵ゴーグル・目薬,帽子,タオル,食料・飲料水,保険証(小生は日本の保険証はない.被災地ボランティア保険に予め加盟),常備薬・救急セット,着替え,雨具などを用意してきたが,ボラセンには,ゴム手袋,軍手,防塵マスク,栄養剤,ホカロンなどが用意されていた.被災地ボランティア保険の加入受付まであった.

 

厳寒の空の下,ボラセンには280名のボランティアが朝会に集まった.そのほとんどが,自治体や企業などで組織されたボランティア軍団で,遠路からのボランティア・バスツアーも複数到着.個人でのボランティア参加は,小生も含めて10名ほどだった.朝会では,新規参加の個人ボランティアの挨拶の時間があったので,「台湾から来たアベです…」と自己紹介した.どうも台湾人だと思われたらしく「日本語うまいですね」と色々な方に話しかけられ,お陰でその日は色々と親切にして頂けた.謝謝台湾.さて,ボラセンでは主に以下の作業項目があり,個人ボランティアは自分の希望で作業内容を選べるシステムであった.

(1) 漁業再開に向けた「カキ養殖イカダ作り」のお手伝い
(2) 津波で流された思い出の品の分別、洗浄のお手伝い
(3) 花畑作りのお手伝い(固くなった土の掘り起しや苗植えなど)
(4) ガレキ撤去
(5) 側溝の泥だし

小生は(2)を選択.熟練ボランティア松浦氏,韓国人ボランティア,東京から車で来た漫画家三人組とチームを組まされた.徒歩で来たので足がないので,松浦氏の車に同乗させて頂いた.韓国から個人ボランティアとして参加しているパクさんも同乗.途中,コンビニで昼食の買い出しをしてから市街地へ下り,初めて津波被害の光景を目の当たりにした.数ヶ月間ボランティア活動を継続している松浦氏の説明を聞きながら市街地を抜け,広田湾を回って広田半島の山の上にある陸前高田オートキャンプ場「モビリア」へ登った.ここは,陸前高田市内の中で残った数少ない施設の一つで,被災直後より避難所として利用されており,現在は仮設住宅地となりキャンプ場としては利用できない.広田湾の「ヒロタ」は,アイヌ語で「美しい砂浜」の意味がある.

 

現地に到着すると,既に先着隊が屋外で作業を開始していた.我々はまず簡単な力仕事を行い,「津波で流された年賀状アルバムの洗浄」作業を開始.泥まみれの年賀状,まだ湿っている年賀状などを一つ一つ丁寧に奇麗にしていく.氷点下の寒空の下での地道な作業.皆殆ど無口に作業を続ける.ついつい年賀状に書かれた文章を読んでしまう.受け取り主がちゃんとこのメッセージを受け取って欲しいと願いながら,丹念に清掃していく.現場の雰囲気をジョークを飛ばしながら和やかにしてくれた隣のおじさんも,年賀状の文章を読みながら時おり感想を漏らしていた.昼食を挟み午後2時過ぎ頃までこの地道な作業に専念した.日が傾くと道路は凍結するので,午後3時までにボラセンに戻るように指示されていた.

 

 

帰路は,漫画家さんらの車に乗車して,陸前高田の海岸の端から端まで走った.瓦礫の多くは撤去され固められていたが,津波で残骸と化した建造物は,まだあちらこちらに残る.その先には,エメラルドグリーンに輝く,恐ろしいほど美しい海が広がっていた.震災後に復活した漁では,漁獲量も魚の大きさも増している.通常は3年はかかる養殖牡蠣も,半年で成長してしまったそうだ.これは,津波で海底がかき混ぜられて,海中の養分が豊富になったからだと考えられている.津波後の海底が美しく生まれ変わっていることは,海底探査からも明らかになった.人々の作った街を破壊した巨大津波は,人々が汚してきた海を蘇らせ,東北の海は豊かになっていたのである.「一本松」も健在だった.長さ2kmに及ぶ遠浅の砂浜に生育する7万本のクロマツとアカマツの砂潮林である「高田松原」は,200年以上前に植えられた.この白砂青松は日本を代表する景勝の一つでもあったが,全て津波で流された,ただこの松一本を残して.

 

ボラセンに戻り,陸前高田市役所仮庁舎まで彼らの車で送って頂けた.バス停では,今朝方浜辺へ向った男性と再会した.多分,彼が見てきた津波被災地と,小生が体験して見てきた津波被災地は異なるだろうなと思った.街は津波で破壊され,その悲惨さだけが光景に映される.これは,テレビのニュース映像で散々見てきた.実際には,壊されたモノや生活を再び取り戻そうと必死に前へ進もうとする陸前高田の人々がそこにいる.ボランティア活動を通して,現地の人々と触れ合い感じた.被災地復興とはいうが,現地の人々は政府の復興対策の遅れに不満を持っている言葉も聞いた.ボランティアは自己満足で終わるのではなく,継続し更にその輪を大きく広げていかなくてはならない.震災から一年が経ち,非被災者達は日々の生活に追われ,被災者達のことを忘れてきているのではないだろうか.

 

 

午後3時56分に仙台へ向うバスに乗り込み海岸線を進むと,津波で破壊された小さな漁村や,いまだに大型船が打ち上げられている気仙沼の町中も通過した.仙台滞在中には,荒浜から仙台港までを一通り訪れた.福島県いわき市の沿岸も訪れた.同じ光景は,数百kmに及ぶ太平洋沿岸各地で見られるのだ.原発問題も含め,2万人近い死者,行方不明者を出した未曾有の災害に見舞われた(見舞われている)日本を復興するためには,日本国民全員が現在進行形で支援を続けていかなくてはならない.

「復興ボランティア=土方作業」と単純に想像していた小生にとって,年賀状の洗浄作業は最初はちょっと気抜けした.しかし,目に見える形だけの復興ならばお金を掛ければできる訳で,「想い出の復興」は現場で手を動かす我々ボランティアにしかできないことだと気付いた.被災地にはそういう義援金だけでは手の届かないニーズがいくらでもあるのだ.支援の形は他にもいろいろとあると思う.被災者以外の人々が支援し耐えなければ,国家の災難を乗り越えた日本復興,日本の将来は無いだろう.

 

台湾に戻った後,小惑星命名のチャンスを頂き「陸前高田」の名を国際天文学連合(IAU)へ申請した.うまく行けば,5月頃には小惑星「Rikuzentakata」が誕生するかもしれない.その時には改めて報告します.

 

Rikuzentakata is a city in Iwate, Japan, which was one of the most affected city by powerful tsunami waves triggered by the 2011 earthquake off the Pacific coast of Tohoku. A part of the shoreline Takata-Matsubara having seventy thousand pine trees which was selected a one of the 100 Landscapes of Japan was also damaged completely except a single pine tree. We would encourage the speedy reconstruction of Rikuzentakata and a place of scenic beauty.

 

震災から一年が経ち,台灣では以下のCMがTVで放映されている.世界中でこんなCMが放送される国は,台湾以外にはないだろう.台湾人が日本人をこんなに心配し支援してくれたことを決して忘れずに,世界で一番の親日国家・隣国「台湾」のことを日本国はもっと考えて頂きたい.

 

台灣!謝謝你! 東日本大震災滿1年

2011/03/03

先週末、台湾に来て5回目の結婚式・披露宴に招待されて参加した。

台湾も日本と同じようにホテルで行われる披露宴が主流で、今回の披露宴も台北の有名ホテルで開催された。昨日結婚したのは、天文研究所の男生(PhD學生)と女生(ポスドク)。付き合って7年でめでたくゴールイン。

さて台湾は、日本以上に日取りの縛りがあるようだ。干支、旧暦、六曜、民國何年か、など。

ちなみに昨日の日取りは、

2011(民國100年)年2月26日(赤口)
旧暦 2011年 01月 24日 (赤口)

式場の開場が、12時12分だった。これは、「赤口神という鬼神が人々を悩ます日と言われているが、赤口神が休むという午の刻だけが吉とされる」を考慮したものだと推測される。

ご祝儀は、台湾では紅包(ほんぱお)といい、深紅一色の袋である。圧歳銭(お年玉)も紅包である。さて、包むお金の額には決まりがある。

– 偶数にする。日本では割り切れる数は使わないので、台湾は日本とは正反対。逆に、葬式の香典の額は奇数になり、白包を使う。

– 4はタブー。四(si4)=死(si3)を連想するので。

– 8はタブー。八(ba1)= 發財を連想するので。

具体的な額(台湾元)。約3倍で日本円に相当。

600、1000、1200、1600、2000、2200、2600、3200、3600、6000、6600、10000、16000

貧困學生で600元、通常は1200か1600元、特に親しい人で2600-3600元。中には紅包なしで参加する欠食児童もいるらしい。小生は、老師としての立場もあるので、3200-3600元を包む事にしている。台湾では、金額を2-3倍した額が日本円に相当する価値になる。実際に、高級ホテルで出て来る料理を考えても、常識的な金額だと思う。

また、紅包には、祝福の言葉を書く。以下、よく使う言葉。

百年好合:末永く仲良く
佳偶天成:仲睦まじい夫婦は神のなされたこと
縁定三生:縁は前世、現世、来世と決まっている
永浴愛河:永遠に愛の河を泳いでね
情牽一生:愛情は一生つながる
永結同心:同じ心は永遠に結ぶ

その他、台湾では、結婚式用に特別な写真を撮影する。まるで、女優・俳優のような出で立ちのロマンチックな写真集。画像処理なども施されるので、お値段は日本円で30万円ほどするらしい。撮影場所も大体決まっていて、例えば小生のいる國立中央大學のキャンパスも撮影場所として有名で、ドレス、タキシード姿のカップルの写真撮影が行われている。

台湾では、引き出物が出ることは少ないようだが、今回は素晴らしい引き出物を頂いた。玉手箱を開けると、日本風の菓子(喜餅)の3段詰め合わせだった。

ちなみに台湾原住民(台湾には14部族あり、ビビアンスーはタイヤル族)と結婚すると、老婆(嫁)を背負子で背負って山中を運ばないといけないらしい。また今日では、原住民の首刈り儀式は廃止されている。

02:18 | 台湾 | No Comments
2011/02/17

過日、日本から2名の要人を招いてのミニ・ワークショップを國立中央大學にて開催した。お二方とも台湾は初めてとのことで、3泊という僅かな時間でいかに台湾を満喫して頂くか試行錯誤した。以下、その記録である。

到着日の日曜日は、台北を速攻案内。

  • 中華民國總統府;車で窓を開けて周回しながら撮影。私服警官や警固兵に睨まれたが、狙撃はされなかった。
  • 中正紀念公園;蒋介石記念館見学。憲兵交代式と国旗降納を偶然見る事ができた。両儀式ともに非常に複雑で美しくもあり感心した。
  • 晩飯は、台北市大安區忠孝東路の度小月で台南小吃のコースを楽しんだ。台北には2店あるが、この店の方が美味いと思う。
  • 龍山寺;長い線香を7本購入して、正式なお参りを実施した。 最後に正式な御御籤の方法を実施。小生は神様がお怒りになって引く事が許されなかったが、日本からの客人2名は無事に御御籤を引けた。御御籤を解釈する人がいて説明をうけるのだが、驚いたことに日本語で説明してくれた。お二方とも素晴らしい御御籤を引いた。

中正紀念公園中正紀念公園 度小月龍山寺

龍山寺夜市を散策し、珍珠奶茶(タピオカミルクティー)を楽しみ帰路に付いた。台北101は、遠目の夜景で見ただけで済ませた。帰路の高速入り口を誤り、淡水方面へ向ってしまい、30分ほどロス。台北の道路交通は複雑極まりない。

会議後の火曜日の午後は、珍道中とあいなった。小生が客人を案内すると、大抵何かハプニングが発生するのだが(一人旅でもそうだけど)、今回もハプニングが起こった。

台湾最大の陶器の街「鶯歌」へ向かった。鶯歌老街は観光客目当ての高級品が並んでいるので、結局我々は何も購入せずに散策しただけ。台湾小姐の提案で、場所は覚えていないが、近くにあるという友人のお茶屋さんに行く事になった。しかし、その友人に電話するも、泥酔していてろれつが回っていなくて何を言っているのか分からないらしい。小姐のあやふやな記憶で歩き回り、通りの店のおばさんに聞いたりしたが、結局路に迷いついには泥酔電話も繋がらなくなったので、タクシーを拾うことにした。檳榔(ビンラン=噛みタバコ)で口の回りを真っ赤にした運ちゃんのタクシーに乗車してしまった。タクシーで案内されたお目当ての店は、定休日で閉まっていた。どうりで泥酔している訳である。檳榔で歯が溶けてしまったタクシーの運ちゃんの怪しいろれつによると、運ちゃんの知り合いに有名な窯元がいるとのことで、そこに連れて行ってもらうことにした。ドキドキ。。。

観光客はまず来ないだろう細い路地から山へ登り、窯元のお宅に案内された。主人は留守だったが、お弟子さん(息子さん)と思われる美形男子が案内してくれた。なんとそこは、世界で一番薄い幻の陶器(厚さ2mm)を作り出す世界的に有名な先生の窯元だったのだ。上海万博に台湾から唯一出品された作品もずらりと並んでいた。

窯元 窯元窯元茶壺
明かりにかざすと透けるが、実用的な茶壺。

World thinest ceramic bowl

この厚さ2mmの陶器は、100個に3個しか成功しないそうだ。一番小さいものでも60万円。大きなものは、5つでポルシェが買える値段とのこと。勿論我々に買える代物ではないので、実用的な茶壺(急須)を吟味した。上海万博に台湾から唯一出品された陶器の茶壺が8000台湾元(~24000円)、筋状の模様が入った花柄のひんの良い白い茶壺が3000元台湾元(~9000円)で販売できるとのこと(筋を入れる技術は難しいらしい)。大きさも形も、書かれている中国の詩も一つ一つ違う、世界に一つの茶壺。我々3名は、通常は値切ることができないと言われたモノを値切り、失礼ながら3000元の白い茶壺を3個で8000元で購入した。この茶壺は、使えばつかうほど光沢が出てくるそうだ。

お茶を頂きたいという更に我が侭な我々の要望に、親切にも一軒の茶屋を紹介して電話予約して頂いた。待っていたタクシーの檳榔オヤジは、満足げに我々を茶屋へ案内してくれた。茶屋に到着すると、さっき我々が購入した茶器が売っているではないか!ボラレタあなと値段を見ると、何と6500元(~2万円)。8000元の茶壺は17000元(~5万円)、我々が購入した価格の2倍以上だった。どうやら我々は、元価を更に値引きして本物を買ってしまったらしい。満足満足。そして、お茶を入れてくれた美女は、茶壺に美しい詩を書いていた女性本人であった。彼女は、さっき我々が購入したものと同じ茶壺でお茶をいれてくれた。1年使ったというその茶壺の表面は、本当に光沢がでて輝いていた。台湾の高山茶各種を試飲して購入。

既に日は暮れてしまい、急いで完全予約制の山奥の隠れ家へ向うことにした。しかし、お茶騒動の一件でディナーに30分以上遅刻することになってしまい、先方に遅れる旨の電話を入れた。しかし、この遅刻が、次の素敵な出会いへと繋がるとは。。。

璞真山居璞真山居璞真山居

璞真山居は、台北縣三峽の山奥にひっそりと佇むまさに隠れ家。既に時間をオーバーしていたので、すぐ近くの大板根森林温泉には帰路に寄る事にした。璞真山居は、全てここで採れた野菜や魚などの有機栽培、天然素材を使った料理を出してくれる。連日連夜の中華料理で疲れた客人達の胃の調子を考えて、1年前の蛍のシーズンに来たこの店を思いついた。足下には墨の匂いが香ばしい火鉢を用意してくれた。台湾風・精進料理と表現すべきか。その味は、我々日本人にはホッとするようなお袋の味である。山芋や各種山菜キノコ、20年間塩漬けした大根「老菜脯」(台湾では有名な幻の珍味)や、山で採れた蜂蜜を酢で割った飲み物など、全てにこだわりをもった11品を堪能した。我々以外には、1組の客しかいなかった。さて、お茶を頂いて帰るというときに、突然僧侶達が店内にやってきた。その中の一人が我々が日本人だとしり、片言の日本語で話しかけて来た。どうも高野山関係の方々らしい。いっしょにお茶を楽しもうと店主の待つ茶室に誘われた。一人は、シンガポールから来た流暢な英語を話す修行僧で、重鎮らしきは身分の高い台湾の密宗僧侶だということを後で知った。店主が入れたお茶は、幻の「桂花茶」だった。そして、店主から六杯のお茶を以下の蘊蓄とともに頂いた。

茶 茶璞真山居

とても50歳過ぎには見えない ご主人。

一碗喉吻潤(一碗喉吻うるおう)

兩碗破孤悶(兩碗孤悶を破す)

三碗搜枯腸(三碗枯腸をさぐる)、唯有文字五千卷(唯だ有り文字五千卷)

四碗發輕汗(四碗輕汗を發す)、平生不平事(平生不平の事)、盡向毛孔散(盡く毛孔に向かって散る)

五碗肌骨輕(五碗肌骨清し)

六碗通仙靈(六碗仙靈に通ず);七碗喫不得也(七碗吃するを得ざるなり)、唯覺兩腋習習清風生(唯だ覺ゆ兩腋習習として清風の生ずるを)!

後日調べたとことろ、中国・唐代中期の詩人、盧仝(ろ・どう) の「盧仝集」1巻からの引用だと分かった。夜の12時近くまで、お茶と茶器、書と墨絵を語る高尚な会となった。今回は、宇宙を語ることは控えておいた。今回の予想外の出会いは、自分の中で進展しそうな何かを感じた。

2011/01/01

あけましておめでとうございます。

2011年謹賀新年

民國100年新年快樂

2011年賀

その帰路に己れを焼きし「はやぶさ」の光輝かに明かるかりしと

(皇后陛下の御歌より)

 

昨年は「はやぶさ」地球帰還という一大イベントがあり、2001年から関わってきたミッションの最後の場面にも立ち会う機会に恵まれました。「はやぶさ」は地球の一部となりましたが、「はやぶさ」を通して素晴らしい人々との繋がりが生まれました。今年はまず、「はやぶさ」との約束であるイトカワ探査の残された研究課題と、地球再突入光学観測の成果を世に出すことが任務です。また、2008年春に台湾へ渡り携わってきたパン・スターズ(Pan-STARRS)全天サーベイ国際プロジェクトが、ようやく軌道に乗り始めました。台湾の科学研究費を貰って行っていることもあり、成果を出すことが求められています。そして、いよいよ「はやぶさ2」が本格的に始動します。台湾に来て3年目になる2011年は、國語のレベルアップも必須です。台湾は建国100年という節目の年。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2010/11/09

湾の土産と言えば「高山茶」と「鳳梨酥( feng4 li2 su1 )」。パイナップルケーキである。

海外の共同研究者らには毎回台湾の珍味をお土産に持っていくのだが、そろそろ飽きてきたと思うので、今回は極上の「鳳梨酥」を献上しようと考えた。

台北の「吉軒茶語」は、桃園在住の日本人Kさんのお薦めの店であって、以前1個だけ頂いたことがあり、「おっこれは!! むほむほ。。」という味だったの思い出した。ところが、台北在住の日本人が、「吉軒茶語」は小出しの店で「微熱山丘・台北話會」が直営店だと教えてくれた。

週末に、Kさんと中壢を出発。「微熱山丘・台北話會」に乗り込んだ。店は住宅街の中にあり、看板もないのにお客さんで賑わっていたのですぐに分かった。顧客が多いのだろう。

気さくな店員さんとやり取りしながら、お茶と鳳梨酥を出して頂き試食。


fenglisufenglisu「むっこれは!(海原遊山風に)」

「これまで食べてきた台湾の数々の鳳梨酥の甘ったるさではなく絶妙な甘味。パイナップルの繊維質が残っているところも良い。そして、シンプルなモノリスを彷彿させる形も、実は崩れ易い中味の型くずれを最小限に押さえて食すに最適な形状だ。さらに貴賓があるパッケージは、献上品としても失礼がない。」

賞味期限が2週間で、2週間後にハワイへ出張で行くので、南投の本店に注文して大學宛に送ってもらうことにした。台北の「吉軒茶語」でも購入可能とのことだが、15個、20個入りの大きいパッケージは扱っていないようだ。

さて、その後、北投にある高級温泉「三二館」に行く予定だったのだが、台北から電話をかけると、18時まで予約で一杯で入浴ができないことが判明。ちなみにこの温泉は、日本では考えられないようなサービス最高の温泉で、人目を気にせずにゆったり寛ぐため、人数制限も行っている。
仕方なく陽明山へ向った。ところが、台北の東側から車で1時間近くかけて登ったのは、巨大な墓地が山頂に広がる鳥塗山という向いの山だった。陽明山へ抜ける路は無かったので、墓地を後にして北の海側へ下山。途中、耳石症の目眩がして、ちょっと危なかった。

金山という温泉街へ向った。温泉街を一巡して、よさげな温泉「金湧泉SPA温泉會館」に御入店。水着着用の混浴室外温泉は、10種類ほどの温泉があり、男女別の室内温泉もある宏大な温泉施設だった。我々は、火鍋付きのコース(700NTD、平日だと550NTD)で入浴。ここは、カップルや家族と来ると非常に良いと感じた。

往復220kmの雨天走行。

2010/11/07

ここ3週間、目眩が取れずに悩まされている。

肩こりだと思い地元の中國式医院に行った。吸い玉とゴリゴリで肩と背中がアザだらけになるが、これはすごく効く。大きな病院に行って診断した方が良いと言われたので、地元では一番大きな壢新醫院に行った。台湾の病院や歯科は、夜10-11時頃までやっており、保険で格安で診断できるのでいつ行っても黒山の人だかり。この病院はネットから予約できるので、時間通りに行くと、結局1時間遅れで名前が呼ばれた。診断は、中国語で質問されて、中国語でなんとか最初は答えた。すると途中から英語になった。なんだ試されていたんかい!

ベッドに寝て、頭を動かしながら、眼球の動きを観察するゴーグルを付けて精査。診断結果は、「耳石症」と言われた(紙に書いてもらった)。内耳前庭にある耳石がはがれ、三半規管に入りめまいが起こる「良性発作性頭位めまい症」という病気とのことで、脳には異常はことが分かった。

不規則な生活に関係していると言われたが、確かに目眩は鹿林天文台での観測の直後から始まった。ちょうど、はやぶさのリアクションホイールが2個壊れた感覚。朝は酷い時は、起き上がれなかったりする。応急回復方法は教わったので、その方法を1週間試したところ、随分改善された。
取りあえず脳には異常がないことが分かったので仕事には問題ないが、目眩が酷いので気分も滅入る。しばらくは、無理しないようにしなくては。。。

Anma

台湾按摩の跡。虐待に見える?

01:42 | 台湾 | No Comments
2010/11/01

我々の国際プロジェクトが朝日新聞に掲載されました。

危険な天体探して監視/地球衝突回避へ国際プロジェクト https://aspara.asahi.com/blog/science/date/20101029

記事を執筆した朝日新聞・科学記者の東山正宜さんは、名古屋大学大学院時代(素粒子宇宙物理学専攻・太陽風研究室)の同じ研究室の後輩。昔から写真が好きで、今では奇抜な方法で都会の天体写真撮影に挑んでいる。2010年6月に、はやぶさ地球帰還を迎えるウーメラのビジターセンターで偶然再会してお互いに「あっ」と声を上げた!小生は、彼が科学記者になっていることを知らなかったし、彼も小生がハヤブサチームで探査を行ってきたことも知らなかった。

朝日新聞の一面を飾った東山くんの「はやぶさ地球帰還」の写真は、流石だなぁと関心した。後日、この写真の六つ切りを国立天文台の渡部潤一氏経由で頂き、台湾の自室に飾っている。

名大の宇宙物理で修士号をとっているだけあって、宇宙科学全般に精通しているだけでなく、感心する程しっかりと下調べしてから取材をしてくれるので、こちらとしても非常に楽で、ついつい余計な裏話まで話してしまう^^;

人の繫がりとは不思議なもの。これからも一期一会を大切にしていきたい。

hayabusa

朝日新聞2010/06/14朝刊

2010/10/02

「はやぶさ2」実現に向けて、皆様のご協力が必要となる最後のチャンスです。はやぶさ2を応援して頂ける皆様には、何卒ご協力を宜しくお願いいたします。

これから台湾から成田へ飛びます。10月3日〜10月5日は、山梨の山中に入ります。JAXA・入笠山・スペースデブリ観測所にお世話になります。10月6日〜8日は、名古屋大学で開催される学会(日本惑星科学会)に参加します。10月9日は、世田谷区教育センター・プラネタリウムで「はやぶさ講演会」を行います。日本の皆様と、何処かでお会いできることを楽しみにしております。

桃園国際機場貴賓室より

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「はやぶさ2」のパブリックコメントについての対応のお願い

すでにご承知のことかと思いますが、「元気な日本復活特別枠」要望についてのパブ
リックコメントの募集が始まっています。「はやぶさ2」もこの特別枠で提案されて
いますので、このパブリックコメントが非常に重要です。
是非、いろいろな立場の多くの方からご支援のコメントをいただきたいと思います。
このご連絡を差し上げている皆さんには、是非、「はやぶさ2」を支援していただく
コメントを書いていただきたいですし、ご家族の方、お知り合いの方にもご連絡いた
だけますと幸いです。
「はやぶさ2」としては最後のチャンスとなりますので、よろしくお願いいたします。

吉川 真(JAXA はやぶさ2プリプロジェクトチームリーダー)

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※パブリックコメントについて情報

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分野別:新成長戦略(デフレ脱却・経済成長)

担当府省:文部科学省

事業名:1908 我が国の強み・特色を活かした日本発「人材・技術」の世界展開
http://seisakucontest.kantei.go.jp/project/detail.php?t=1908 ←直接のURL

・我が国の宇宙技術の世界展開(資料)
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2010/09/22/1297943_01.pdf

・JAXAのWebから:http://www.jaxa.jp/info_public_j.html

■応募の締めきり:2010年10月19日(火)17時まで

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・Web上のフォームから:
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FAX : 03-3592-2301 内閣官房副長官補室(政策コンテスト担当)あて
郵便:〒100-8968 東京都千代田区永田町1-6-1
内閣官房副長官補室(政策コンテスト担当)あて
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2010/09/23

中秋節は、旧暦8月15日の満月=中秋の名月を祝う。

台湾では何故か、全国至る所で焼肉が行われる。「中秋節烤肉 (zhong1 qiu1 jie2 kao3 rou4 ) 」が町中に溢れる。

これは1980年代に勃発した焼肉のタレのCM合戦に端を発しているらしい。日本のバレンタインデーがチョコレートと結びつけられるようになった経緯と同じだ。

そして、この規模が半端でない。町中の道端の至るところで焼肉を夜中までやっている。中には、ガソリンスタンドの横で焼肉パーティーが行われ、危険極まりないというニュースまで流れていた。この2日間で、明らかに大量のCO2が台湾から排出されたはずである。定番の「月餅」菓子も健在である。月餅と中秋節の結びつきも焼肉と似たような経緯があるが、その歴史は、元王朝末期というから、1000年近い歴史がある。

小生も昨年同様、親しい台湾人が働く桃園にある日本企業の下請け会社の焼肉パーティーにお邪魔させて頂いた。30名ほどでワイワイ楽しんだ。ただし、ビールを飲まないのが台湾らしいが、日本人には物足りない。台湾では、日式焼肉店が流行っている。炭火で焼肉をするのが、どうやら日本式ということらしい?ビールは持ち込みOKの店も多いと思う。

1299775443_150.jpgimg_6092.jpg

また、大學教員には、大學から中秋節禮物(zhong1 qiu1 jie2 li3 wu4 )が配られる。 今年は、太陽餅、月餅などの菓子類の他、台南からザボンが届いた。 台湾中国語だと文旦(wen2 dan4 )。日本語でも「ブンタン」と呼ぶ地域もある。 これが、日本のモノよりも巨大!暫くおいてから食べると甘さが増すと言われた。

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生憎の曇天だったが、近くの温泉に浸かりながら、霞がかかった月を観望できた(写真も撮影)。台湾から見ると、日本で見るよりも兎がひっくり返って見えるのは気のせいだろうか。台湾では、兎の餅つきは想像できそうにない。

2010_moon.jpg

Nikon D300s 18-200mm(200mmで撮影)。底辺が水平線にほぼ平行なので、兎もひっくりがえっている。

06:26 | 台湾 | No Comments

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