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2011/09/18

ブータンへのフィールドワーク、
帰国後すぐに、JunkStage第3回公演の準備、そして本番、
続けざまに、所属するゼミの合宿、
と、ハードなスケジュールが続く今年の夏休み。

まあ、夏休み、という時点で、世の社会人方からは、
「ハードとか言って、どうせ自分で蒔いた種だろ」と、
叱責を受けそうなところだが。

で、次のスケジュールはというと、
来週月曜(というか明日)から、またしても海外。
行き先は、東欧。

と言うと、チェコとかポーランドとか、
どうやらそのあたりを連想するらしく、
大概、「似合わねー」と一蹴される。

何を以て、自分がチェコとかポーランドが「似合わない」のか、
小一時間ほど問い詰めたいところだが、それはさておき。

「いや、ウクライナとかベラルーシとか」と応えると、
「あー、へー、ふーん」と、途端に曖昧な反応。

どうやら、国の名前は知っているものの、
どこにあるのか、なにがあるのか、あまりイメージが湧かないらしく、
「危なくないの?」と、大抵こうくる。

そりゃまあ、日本より危なくない国はそうそうないし、
よほど大掛かりな暴動でも起きていない限り、
その日の治安なんて、その日になって、現場に行ってみないとわからない。
そして、自分の場合、「わからない」ことは躊躇する理由にはならない。
ただ、それだけのことだ。

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さて。
危なくないのかどうかは、外務省の海外安全情報でも見てもらうとして、
「何しにいくの?」なら、もちろん答えられる。

タイトルで書いてしまっているのに、ここまで引っ張る意味もなかったのだが、
そう、一番大きな目的は、「チェルノブイリに行くこと」だ。

ただ、それが「何しにいくの?」という問いに100%答えているか、
というと、自分の中でも少し疑問がある。

というのも、自分がチェルノブイリに行ってみたところで、
それが、「何かの役に立つのか」どうかは、全くの未知数だからだ。

原子力発電所についての専門知識があるわけでもない。
放射性物質について研究しているわけでもない。

声高に原発反対を唱えているわけでもない。
その逆でも、またない。

身の丈に合った疑問設定とその能動的解決、
こそが、研究者として取るべきスタンスだとするならば、
今回の旅は、研究者としてではなく、
ただの一個人としての旅、でしかない。

誤解を恐れずに言えば、好奇心に突き動かされた旅、だ。
チェルノブイリを五感でただ感じたい。
それ以上でも、それ以下でもない。

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今年の夏は、節電の夏だった。
そう記憶されるのだろうか。

節電は、何のための節電だったのだろう。
いま、目の前にある危機を乗り切るため、だろうか。

例えば、
「夜の時間帯は電力需要がそれほど高くないから節電は無意味だ」
という人が居る。
たぶん、それは正しい解釈なのだろう。
いまを乗り切るための節電、ならそうだろう。

でもいま、
自分の頭の中をよぎっているのは、
「来るべき未来に慣れる」ための節電だったのではないか、
という思い。

ヒトが、湯水のように電気を使う時代は、
あの日を境に、唐突に終わったのではないか、
という思い。

もし、そうであるならば、
ヒトは、昼だろうが夜だろうが、電気を制限して使う、
ということに慣れなければならない。

そして、そのことが、すとんと肚に落ちてから初めて、
未来のエネルギーを何に託すべきか、という話が、
感情論ではなく、真剣に議論できるようになると思うのだ。

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実は。
気付いている人は気付いていたかもしれないが、
去る、3月10日。
そう、あの震災の1日前。
自分は、このコラムで、こんなことを書いていた。

33.チェルノブイリに悲しい雨が降る
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=173

包み隠さず、正直に言うならば、
あの震災の後だからこそ、より強く、かの地を訪れたいという思いと、
自分のような物見遊山の輩が訪れていい場所ではないのでは、という思いと。
その葛藤は、まだ、解消されてはいない。

或いは、チェルノブイリを訪れた後のほうが、
その葛藤は、より一層、強くなるのかもしれない。
その無力感は、より一層、深くなるのかもしれない。

それでも。
25年という、歳月の重みを、その深淵を、少しでも知ることが、
きっといつか意味を持つと、そう信じて、歩みを止めずに居たい。

12:00 | fujiwara | 51.いま、チェルノブイリへ はコメントを受け付けていません
2011/09/10

記念すべき、第50回。
本当は、第0回があるので51回目だが、細かいことは気にしない。

さて、そんな今回は、少し趣の違う話だ。
もっと言えば宣伝の類に属する話だ。

実は、というか読者の多くはご存知なのかもしれないが、
このジャンクステージで、筆者はスタッフを務めている。
一応、肩書は代表理事、ということになっているのだが、
他の理事2人がコワいので、いつも損な役回りだ。

それはさておき。
ここのところ連日、From Staffが、他のライターコラムが、
9月11日の「ジャンクステージ第3回公演」一色なのだが、
そんな流れの中、ひっそりと裏方として準備に精を出してきたわけだ。

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特設サイト上は、「WEB・映像制作」としてクレジットされている。
いや、むしろ、特設サイト自体、作ったのは自分なので、
クレジットしたのは自分な訳だが。

もうひとつのクレジット、映像制作は、といえば。

今回の公演、話の大筋は演劇だ。
脚本、演出をライターのスギタクミさんが手がけ、
主演は、かつて(いまも?)ライターだった、イトウ帯金コンビ。

そこに、サルサやら、ジャズやら、パフォーマンスが絡んでくるのだが、
もちろん、ネタバレになってしまうので、どう絡んでくるかは秘密。

そんな、ちょっと一風変わった演劇に、
これまた一風変わった映像演出を、ということで何故か白羽の矢が立った、
というのがそもそものきっかけ。

当初は、オープニングとエンディングにちょろっと、
ぐらいの話だったのが、あれよあれよと映像注文が増えていき、
気が付けば、台本を1ページめくるたびに、こまごまと「映像」の文字が。

いままで、友人の結婚式のサプライズ映像、
くらいしか作ったことのない男が、こんな大それたことをしていていいのか、
と疑問に思う暇もなく、あっという間に流れ流れて今日に至ってしまった。

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さて、なんとかギリギリになって映像制作は完了。

クオリティは…まあ見てのお楽しみということで。

で、問題は、当日の映像オペレーションまで担当する、
という割とヘビーな役割が残っているところだ。

当然、結婚式の映像と違って、演劇の流れの中で、
役者や音響などとも呼吸を合わせながら映像出しをしなければならない。
しかも一発本番。

昔、会社員時代に、割とエラい人たちが集まる割とデカい会議の、
プレゼンテーションのオペレーション、というのは経験したことがあるが、
結構、そのときに近いくらいのプレッシャーのかかり具合だ。
むしろ自分が壇上に上がってしまったほうが、いくらかマシなぐらいだ。
とかなんとか言ってると、来年は壇上に居かねないので、
あまり大きなことは言わないでおこう。

とにかく、はてさて、無事に乗り切れたものか。

妙なところでトンチンカンな映像が出ても、
どうか知らんぷりしてやってほしい。
むしろ、それすら演出だと思って楽しめる、ぐらいの気概のある方に、
ぜひとも、会場を埋め尽くさんばかりの勢いでお越しいただきたい。

急遽、キャンセル分を当日券(3,600円)で販売することになったので、
そのあたりの準備も抜かりない。

冷やかし、歓迎。

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…全然、宣伝になっていないのは内緒だ。

12:00 | fujiwara | 50.ジャンクステージ第3回公演 はコメントを受け付けていません
2011/09/02

2週間のブータン滞在を終えて、8月末日、帰国の途に着いた。

初めてかもしれない。
海外で、こんなにも大勢の人たちと言葉を交わしたのは。

いつも、自分にとって、旅は一人でするものだった。
最初は、特別一人旅が好きというわけでもなかったのだが、
気が付けば、一人が一番楽になってしまっていた。

もちろん、一人だからこそ、饒舌にならねばならない場面も多い。
飛行機や電車では、常に見知らぬ誰かが隣に座る。
自分がチケットを買わなければ、誰も自分をどこかへ連れて行ってくれない。

しかし、それにしても、有り余る一人の時間を、どう有意義に過ごすか。
それが、いつもの旅の専らの課題でもあり、楽しみでもあった。

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翻って、今回。

まず、旅の主目的からして、「喋る」ことが求められていたのだ。
修士論文を書くためのインタビュー、しかも街頭インタビューを実行する。

我ながら、随分と行き当たりばったりなお題を掲げたものだ。

はてさて、その成果はと言えば。
ブータンの街角で、総勢100名超へのインタビューを敢行。
数字だけが答えを握っているわけでは勿論無いが、
数字は裏切らない、というのもまた真。

そこで得た数々の示唆を、どう論文として調理するのか。
食材は、たぶん、揃った。

それにしても。
ブータンの人々の、なんて温かいこと。
いや、あれは温かさとは違う、なにか別のモノなのかもしれないが。

兎に角、彼らはインタビューを断らないのだ。
「これが東京なら…」
と何度心の中で思ったことだろう。

ブータン人は、どちらかというとシャイな人が多い。
最初、声をかけると、どちらかというと怪訝な目をこちらに向けてくる。

でも。
こちらがちゃんと名乗り、インタビューしたい旨を誠意を持って伝えると、
彼らも、誠意で以てそれに応じてくれる。

勢い余って警察官にインタビューを試みた際には、さすがに、
「職務上、そういう質問には答えられないんだよ」
と苦笑いされてしまったが、他の国なら即座に銃を向けられてもおかしくない。

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もうひとつ、今回の旅で多くの言葉を交わすことになった理由がある。

それは、日本ブータン友好協会の親善旅行と日程が重なったこと。
残念ながら、こちらの都合でご一緒することはできなかったのだが、
「どうせ日程重なってるなら、行事に参加したら?」
と有難いお言葉をいただき、結局ほとんどの行事に参加させていただいた。

図書の贈呈式。
東日本大震災の犠牲者へ向けた法要。
ブータン産マツタケによるBBQパーティ。
そして、ブータン首相も招いての懇親会。

一人では到底会うことも叶わなかったであろう大物にも会うことができ、
また、協会のみなさんも、途中で紛れ込んできた若造を迎えてくださった。

また何よりも。
まだブータン研究をはじめて1年そこそこの駆け出しの身で、
それこそ、30年に渡って、日本とブータンの架け橋になってきた方々と、
夜、酒を交わしながら親交を深めることができたというのは、
何物にも代え難い、貴重な時間となった。

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さて。
まずは、帰国して頭の整理をしている段階なので、このあたりで。

実によく喋った旅のあと。
日本で過ごす一人の夜は、いつもにも増して、静けさを感じている。

インタビューの中身については、また後日。

12:00 | fujiwara | 49.ブータンより帰国報告 はコメントを受け付けていません
2011/08/25

「iPadまで持ってるくせに、なんでスマホにしないの?」
と、最近割とよく聞かれる。

さらに言えば、iPod touchまで持ってる。

自分でも、なんでこれがiPhoneじゃないのか、
自分を小一時間問い詰めたくなることもしばしば。

所詮、iPadも、3Gがついてないwi-fiモデルだ。

別に、某ソフトバンクに、何の恨みつらみがあるわけでもない。
出遅れたから意固地になっているわけ…でもな…い。

Facebookも、twitterも、
「スマホじゃなきゃ、本当の良さがわかんないよ?」
とか言われるたびに、
(本当の良さがわかんないと使っちゃいけないのかよ)
(大体、本当の良さってなんだよ)
と、思わずやさぐれたくなる日々。

いままで、普通に「携帯」と呼ばれていたモノを、
いつの間にやら「ガラケー」と呼び始める輩が現れて、
気が付けば「スマホ」を普通の携帯扱いしようとしているこの空気感。

やっぱり、意固地になってる…の…か?

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が、ひとつ大きな理由がある。

スマホは、たぶん間違いなく便利だ。
特に、gmailユーザーとしては、AndroidだろうがiPhoneだろうが、
外で簡単にメールチェックできるようになるのは魅力的だ。

…本当にそうか?

メールをチェックできる、ということは、
メールを返さなければいけない、ということだ。

いや、返すのは当たり前なんだが、問題は、送った相手が、
「あいつはスマホだから、メール見たらすぐ返事してくるはずだ」
とか言い出すんじゃないか、という、一種の被害妄想だ。

検索性能だって、飛躍的に高まる。
例えば、どこか居酒屋で待ち合わせでもするとして。
たぶん、相手がスマホを持っていると知っていれば、
店の名前だけ教えて、「あとはググれ」と突き放すだろう。

優しくない。

これ以上あくせくしたくない。

考え過ぎと言われればそうだろう。
でも、思考を止めて、利便性に身を委ねることは、今はできない。

何にも追われずに、自分で自分のやりたいようにやる分には、
今のところ、いままでの携帯で十分事足りそうだ。

勿論、ごくごく個人的な話であって、他人様がどうかはまた別の話。

そもそも、iPadとiPod touch持っててそれを言うか?
と詰め寄られれば、呆れるくらい返す言葉も無い。

うっかり、来週くらいに、機種変更している可能性も否定できない。

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要するに、意固地になっているのだ。

12:00 | fujiwara | 48.スマートフォンにしないわけ はコメントを受け付けていません
2011/08/18

気が付けば、丸一ヵ月もご無沙汰してしまい、大変申し訳ない。
忙しかった、なんて、世の社会人の方々に比べれば口が裂けても言えないが、
7月後半から8月にかけては、前期末のレポート三昧の日々で、
強いて言えば、何の面白みも無い生活をしていた、のが主な理由。

言い訳です、完全に。

さて。
修士2年になり、今年度中に論文を仕上げなければならない。
この夏は、言わば、勝負の夏。

「ブータンの情報化」がテーマの論文。

研究途上なのであまり詳しいことは書けないし、
何より、アカデミックな話は、得てして、こういうコラム向きではないが、
どんな研究をしているのか、かいつまんで説明してみることにしよう。

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既に何度かこのコラムで書いてきたが、
ブータンは、テレビですら20世紀末にようやく解禁されたくらいに、
情報化後進国、であることは疑いの余地が無い。

いまだ国民の7割が農民の国。
いまだかつて、工業化されたことが無い国。

その国が迎える情報化、というのは、単なる先進国の後追いなのか?
という疑問が、そもそもの出発点。

これまで調査を進めてきて、少しずつ見えてきたことは、
ブータンは、何も闇雲に情報化を推し進めてきたわけではない、ということ。
情報化から得られるメリットとデメリットの相克に揺れ続けながら、
それでも、他の国に流されること無く、ブータンなりの選択を続けてきた。

いま、その選択の結果が、少しずつ目に見えて現れはじめている、
そんな気がしている。

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ブータンには過去2回、昨夏と今春に訪問した。

初回は、まずはブータンという国を知ること。
2回目は、政府や企業の立場から、情報化に関する話を聞くこと。
が、それぞれ目的だった。

で、今回。
ぜひトライしようと思っているのは、街頭インタビュー。
つまり、ブータンの、街の人々の、生の声を聞くこと。

実際、携帯電話なり、インターネットなりの普及が進んできたことで、
彼らはどんなコンテンツに触れていて、
そして、彼らの暮らしにはどのような変化があったのか。

そういった点を探っていきたいと思っている。

ただし、そこはそれ。
日本ですら、突撃インタビュー的な経験が無い中で、
果たして、ブータン人の本音にどこまで迫れるのか。

大体、ブータンで街頭インタビューを敢行している不審な日本人は、
果たして連行されたりしないのか。

諸々、不安要素はあるものの、
もう、これが公開されるタイミングでは出国直前なので、待ったなし。

乞うご期待。

12:00 | fujiwara | 47.三度、ブータンへ はコメントを受け付けていません
2011/07/18

先週の続き
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=242

SNSのユーザー離れを、「疲れ」ではない観点から掘り下げてみよう、
というのが本稿の主旨だ。

「疲れ」論は、言わばヘビーユーザーサイドに立った論であって、
大多数を占めるライトユーザーにはピンと来ないのではないか、
という疑問が、まず湧いてきた。

一説には、新規登録したユーザーのうち、
6割が1ヵ月以内に放置状態になってしまう、なんて話も。
この数字の精度はさておき、現実的には、ハマる層よりも、
全くハマらない層、適度な距離で付き合ってる層、のほうが、
割合としてはかなり多い、というのは想像に難くない。

そんなライト層のSNS離れは、どういう構造で進んでいくのか。
2つのキーワード、「空き」と「飽き」から紐解いていきたい。

ただし、あくまでも私感であって、
調査に基づくアカデミックな解釈ではないので、あしからず。

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まずは、「空き」の構造。

mixiしかり、Facebookしかり、あるいは、twitterもしかり。
SNSは、ある程度使い方に慣れてくると、
家のPCの前にどっしりと腰を据えて取り組む、
という類のモノではなくなっていく。

通勤、通学の電車の中など、ちょっとした合間を利用して、
ニュースを読む感覚で、他の人の書き込みをチェックしたり、
日記(ツイート)のためのネタになるかな、なんて考えてみたり。

コネクトすることを楽しむというよりは、
「空き」時間の有効活用、つまりは暇つぶしのために、
自他ともに垂れ流す書き込み(=コンテンツ)を消費し合う、
という互恵関係がそこに生じてくる。

この関係は、 “双方が同程度ひまな場合” にのみ成立し得る。

もちろん、SNSは1対1関係ではないので、
一人一人と対等関係である必要は無いが、それでも、
とあるコミュニティの中で、誰か一人だけがひたすら喋り続ける、
という状況下においては、互恵関係が維持できない。

また、当然のことながら、忙しいとき=「空き」が少ないときは、
コンテンツの量そのものが減るので、やはり関係は崩壊し易い。

そして、一度、関係が悪化(といっても、実際の人間関係が悪化
しているわけではない)しはじめると、ドミノが倒れるように、
連鎖的にバタバタと書き込みが途絶えていく。

俗に、社会人になるとあっという間にmixi人口が減っていくのは、
こうした構造が裏で働いているからだと考えられる。

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もうひとつ、「飽き」の構造。

身も蓋も無い言い方をすれば、
実際、ただ単純に、なんとなく「飽き」た、という層が大半なのでは、
という話だ。

ヒトは3年も同じことをしていれば、大概のことには飽きる。
同じ人の日記を3年も読み続けていれば、
そこにあるのは類似体験の蓄積でしかなく、面白みは薄れていく、
と、そこまで言ってしまっては言い過ぎか。

SNSは、通常のコンテンツと違って、
人間関係そのものを売りにしているため、
人間関係に飽きる、なんてことは無い、
という反論を受けそうなところだが、
個人的には、上で述べたように、SNSが提供しているのは、
疑似人間関係でも、ネット上のリアルな人間関係でもなく、
書き込み(=コンテンツ)を掲示する場、でしかないと考えている。

「mixi疲れ」が囁かれはじめた2006年以降、
「mixiアプリ」「mixiボイス」「mixiチェック」などなど、
サービスを増やすことで「飽き」が来ないように仕向けたが、
結果的に、アプリをやる人であればアプリをやる人とだけ、
コンテンツを共有するなど、互恵関係の分散化を招き、
その面白さが目減りしてしまった、ように思われてならない。

このあたりの構造は、
世に言う「ゲーム離れ」の構造と良く似ている。

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さて、SNSの継続運用というのはなかなかに難しい、
という、こんなご時世に、わざわざ新規参入を試みてきた、
天下のGoogle先生について、最後に少しだけ触れておこう。

先月からテスト版が動き始めている、「Google+」がそれだ。

ぶっちゃけてしまえば、
いまのところ、中に入れる人間が絶対的に少ないので、
全く面白くはない。

世間では、Google+はFacebookに勝てるのか!?
みたいな論調が主のようだが、
タイミング的には、勝手にFacebookが下がってくるだろうから、
その後釜に納まるためにはいまぐらいにサービス開始しとけば、
もろもろ丁度いいかな、というふうな思惑を感じずにはいられない。

どうせ、インターフェイスやら何やら、
細かいところで、手を変え品を変えてみたところで、
それが、決定的な差別化に繋がるとは到底思えない。

乗っかってくるコンテンツを作るヒトは、同じ「友達」なのだから。

12:00 | fujiwara | 46.SNS疲れとはなにか(後) はコメントを受け付けていません
2011/07/11

最近、自分の周囲でも、Facebook利用率がにわかに高まってきた。
いつの間にやら、自分のアカウントでも、
マイミク人数より、Facebookのフレンド数の方が多くなってしまった。

ほんの3ヵ月前に、下記のような記事を書いたのだが、
まさにその後の勢いは、mixi全盛期の伸び率に匹敵するのでは、
と個人的には感じている。

38.Facebook症候群
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=199

昨年来、どうにも、
「一生懸命Facebookを広めようとする一連の活動」
 =映画公開、マニュアル本出版、マーケッターの提灯記事etc…
が、じわじわ拡散してきているのを感じていたが、
ここへきて、どうやらそれが実を結びつつあるようだ。

という書き方をすると、なんだかFacebookが、
商業主義的アメリカナイゼーションのカタマリ、
みたいな批判的な捉え方をしていると思われがちだが、
さはさりながら、タダでサービスを享受している以上、
自分自身も同じ穴のムジナなわけだ。

ムジナは、アナグマの別名、またはタヌキのこと、なわけだ。
栃木では、アナグマを「タヌキ」、タヌキを「ムジナ」と呼ぶそうだ。
ややこしい。

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閑話休題。

そんな、絶賛流行中のFacebookなのだが、
それと同時に、「Facebook疲れ」なる声が聞かれはじめてもいる。

はじめてすぐ疲れるとか、
「『スペランカー』の主人公ばりにひ弱過ぎるだろ!」
という、一部ゲーマーにしかわからないツッコミを入れそうになるが、
実はこれ、Facebookのお膝元、アメリカでの話。

アメリカでは、いままさに、
Facebookユーザーがジャンジャンバリバリ減少中、
という窮地に立たされている、という。
1ヵ月で600万人減(ちなみに、日本の全ユーザー数は500万人くらい)、
というのだから、その急降下っぷりはハンパではない。

各地で急速に広がる「Facebook疲れ」なる新現象! │ ギズモード・ジャパン
http://www.gizmodo.jp/2011/06/tired-of-facebook.html

「フェイスブック疲れ」の到来は2012年9月ごろ? │ web R25
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20110621-00020467-r25

この減少、じゃない、現象は、先に日本が体験した、
いわゆる「mixi疲れ」をそっくりそのままトレースしたようにも思える。

最近では、「オワコン(終わったコンテンツ)」などと揶揄され、
一定数のコア層は維持しつつも、凋落と迷走ぶりが著しいmixiも、
ほんの5年ほど前には、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

そして、そんな絶頂期に囁かれはじめたのが、
「mixi疲れ」という現象だった。

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当時、主流だった論調は、概ね下記のようなものだった。

コメントの義務化に見る『mixi疲れ』の秘密 │ FPN
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=1561

「mixi疲れ」を心理学から考える │ ITmedia News
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/21/news061.html

ただ、個人的には、これら一連の現象を、
「依存→義務化→疲れ」
という構造で説明しようとすることに、若干の違和感を覚えていた。

ダメだと分かっていてものめり込んでしまう、のが依存であって、
依存しているものが「義務化」する、というのは逆説的過ぎる。

そもそも、ユーザー「離れ」を、
「疲れ」だけで捉えようとすることに、土台無理がある。

と、散々毒を吐いてみたのだが、
だんだんと長文化してきたので、この続きはまた次週。

12:00 | fujiwara | 45.SNS疲れとはなにか(前) はコメントを受け付けていません
2011/07/04

ここのところ、東京事変『新しい文明開化』ばかり聴いている。
今年度の東京メトロのCM曲にもなっているアレだ。

そんなこと言うても、ウチ、関西在住やし。
と、厳しいツッコミを入れてくる方もいるやもしれぬ。

そんなあなたのために、一応、リンクを貼っておこう。
もちろん、関西人でなくてもアクセスできる。
http://www.tokyo-wonderground.jp/cm/

東京メトロのシリーズCMとしては、
一昨年、宮崎あおいが、昨年、新垣結衣がそれぞれ出演していた、
「Tokyo Heart」シリーズが割と好きだったのだが、
女優趣味がバレるだけなので、それはさておき。

このタイトル、『新しい文明開化』という単語が、
初めて耳にしたときから、どうにも頭から離れない。

そして、ふと、気付いた。
それってば、まさに、ブータンのことじゃなかろうか、と。

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と、若干、無理矢理ブータンの話題にすり替えた感は否めないが、
どういうことか、少しだけ解説しよう。

ブータンは、ごく最近、ほんの半世紀前まで、鎖国状態にあった。
そう、日本が江戸時代、鎖国していたのと、ちょうど同じように。

もっとも、ブータンに関しては、自ら鎖国の道を選んだというより、
結果的に鎖国状態になった、という捉え方が正しいようだが。

何はともあれ、それまでのブータンといえば、
産業革命以後、世界中で発達、普及した機械文明の恩恵を
一切受けることなく、ほとんど中世そのままの生活を送っていた。
田畑を耕し、牛やヤクを飼い、
日の出とともに目覚め、夜の帳とともに眠る。
そこまで言うと、やや大袈裟か。

日本では、鎖国を解き、明治の時代になり、社会は大きく変貌した。
そのキーワードとなるのが、「文明開化」という言葉になろう。

武士の世の中への決別を示す、断髪令、廃刀令。
それまでの価値観を否定し、西洋化=近代化という信念の下、
政治、教育、服装から食事に至るまで、徹底的に西洋にかぶれた。

さて、一方、国を開いたブータンはといえば、
やはり、目指すべき道は、近代化、であった。

車が走る道路すらなかったブータンにおいて、
近代化は、すなわち、道路整備からはじまった。

ただし、日本の「文明開化」と、それは180度違うものだった。

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ブータンにとって、近代化とは、
あくまでも、国民生活を豊かにするものであって、
しかも、それが長く子孫の代まで続くことが前提条件だった。

一番遅く近代化をスタートさせたブータンは、
つまり、一番多くの近代化の成功や失敗を糧にすることができた。

西洋を中心に推し進められてきた、富の集積だけを目指す社会は、
結果的に、環境破壊その他の、多くの問題を抱えてしまった。
その意味で、近代化=西洋化、という図式は成り立たない。

むしろ、西洋を反面教師とし、伝統的な価値観を肯定する、
そんな逆転の発想から、ブータンの開発は進められてきた。

例えば、ブータンでは伝統的な文化を守るための、
国民の義務、に相当するものが数多くある。
服装規定は、公的な場(職場、学校など)における
伝統衣装の着用義務を定めている。

全くもって、武士の服装を根本から否定した日本とは、
真逆の対応、ということになる。

ただし、ブータンは、昔を是とし、昔のままでありたい、
と考えているわけではない。

昔は昔、今は今の良いところを上手に吸収しつつ、
長く栄える道を模索している、とでも言えばいいだろうか。

ああ、そうだ。
これはまさに「新しい文明開化」と呼ぶべきモノだ、と。
ある瞬間、ふと閃いた。

国際社会に船出するに際して、
日本は、西洋に追いつくことで自身の存在を認めさせようとし、
ブータンは、あえて西洋に背を向けることで存在感を示そうとした。

対応としては真逆なのだが、
目指していた方向は実は同じではなかったのか、と。

別に、だからどう、ということは全く無いのだが。

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ここからは余談。

このブータン式「新しい文明開化」が、昨今、
日本を含めた諸外国でもてはやされることもしばしばあるようだ。

日本式「文明開化」ですら、ほんのつい最近まで、
世界第二位の経済大国を生んだ礎として、高く評価されていた、
ように自分には思われてならない。

ならば、ブータン式もまた、
100年後の世の中の評価に耐え得る、なんて誰が言えるだろう。

もちろん、100年先の評価を恐れていては、
誰も何も、足を踏み出すことなんてできはしないのだけど。

12:00 | fujiwara | 44.新しい文明開化 はコメントを受け付けていません
2011/06/19

来年の2月でパスポートが切れる。
20歳になってすぐに10年パスポートを取ったので、
実に久しぶりの更新を迎えることに。

まだ有効期限まで半年残っているが、
実際には、残存期間半年以上残っていることが入国条件、
という国が割と多い。

結果的に、実質有効期間は9年と半年だったりする。

という、小さいツッコミはまあ置いておいて。

替えることそのものはやぶさかではないものの、
良くありがちな、
若気の至りでクッソ恥ずかしい写真だったので早く替えたい、
とか、そういう強い希望も特に無かったので、
香辛料、もとい、更新料16,000円の出費が実に手痛い。

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古い(実際にはまだ使えるが)パスポートをパラパラとめくってみる。

海外一人旅に目覚めたのは20歳を過ぎてからだったので、
一人で訪れた国の全てのスタンプが、このパスポートに押されている。

あまり出入国でトラブルを起こしたことはないが、
タイに紙袋ひとつで入国しようとして、検査官と揉めたことや、
モロッコ警察に追いかけられ、慌ててスペインに逃げ込んだことや、
成田に着いたら、荷物がカナダに置き去りだったことや、
そんなことを、走馬灯のように思い出す。

ヤバい、この昔を懐かしむ展開、
2時間ドラマだったら死亡フラグが立ってる流れだ。

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さて、旅行好きな人なら誰しも、
旅行計画を立てているときが一番楽しい、
なんて気持ちが分かるもの。

実際には、金銭的、あるいは日程の都合で実現しない場合でも、
ガイドブックを眺めるだけの妄想旅行、なんてのも悪くない。

ただ、一人旅愛好家の困った癖で、
(もしかしたら自分だけかもしれないが)
妄想のはずが、気付いたら格安航空券サイトを検索しはじめ、
Google Mapsで周辺地図を見ながら交通手段を検討しはじめ、
ついでにAmazonで「地球の歩き方」を購入してしまい、
あっという間に、渡航決定、となってしまうパターンが多…
くもないが、割とある。

なにぶん、一緒に旅行する相手に相談するプロセスを経ない分、
無駄に決断までの時間が短く、誰もそれを止めてくれない、
という致命的欠点を抱えている。

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そんな旅にまつわる与太話はまた後日、折を見て。

まっさらなパスポートに最初に刻まれる判は、
おそらく、次のブータン研究旅行、ということになりそうだ。
たぶん、8月。

9月にも、できれば東欧あたりに足を伸ばしたいと画策している。

たぶん、あのページが白いと寂しくなってしまうので、
また次から次へと、これからも旅を続けることになるのだろう。

12:00 | fujiwara | 43.パスポート更新 はコメントを受け付けていません
2011/06/06

五月病に罹るヒマもなく、割と慌ただしく過ぎた5月。

先日ご案内した、「日本ブータン研究会」をはじめ、
毎週のように修士論文絡みの発表が重なり、
また、合間を縫うように舞台を観て、映画を観て、美術館を巡って、
と、そうこうしているうちに、世間はすっかり梅雨に入っていた。

さて、困ったことに、
研究会やら修論発表の様子を、ここでコラムに書いたところで、
正直、面白可笑しくなる要素がひとつも無い。

仕方無いので、やや古い話になる上に、
できれば諸事情により隠しておきたい過去なのだが、
「ブータン人留学生と行く、ドキドキお台場ピクニック編」
を、完全ノーカットでお届けすることにしよう。

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5月某日。
お台場海浜公園。

ほんの数日前に、日本ブータン友好協会主催の、
ブータン人留学生を招いたイベントがあるという知らせを受けた。

十数人のブータン人が一同に介する貴重な機会ということもあり、
勇んで出掛けてみたのはいいが、参加するメンバーはほぼ初対面。
駅に着いてすぐに、明らかにそれらしき集団を発見するも、
一人も見知った顔がおらず、いきなりヒヨる。

内訳は、日本人4人に、ブータン人10人といったところ。

マトモに挨拶を交わす間もなく、テキパキと班分けされ、
買物班、待機班、場所取り班に分かれ、ミッションスタート。

で、場所取り班は、自分ともう一人(日本人)。
海辺の高台にブルーシートを広げ、しばし待つ。

が、そこは時間にルーズなブータン人。
待つこと30分強、ようやく買物班が到着。
なし崩し的に、会ははじまった。

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初っ端は、つい先日発表された「Royal Wedding」の話題。
ブータン人たち、途端にヒートアップ。

わいのわいのと、真っ昼間から酒を呑む。
ブータン人は、傍から見ればかなり日本人顔なのだが、
全員で食糧をがっつり手掴みで食べる姿に、戸惑う周囲の散歩客。

心の中で、「いや、日本人みたいだけど、ブータン人なんです
ああ、でも自分は日本人なんです」と呟く。

やがてはじまる、ゲームの時間。
まさかの20年振りの「ハンカチ落とし」。
もちろん、負けたら罰ゲーム付き。

ネイティブ・ジャパニーズとして負けるわけにはいかないところだが、
段々と回を重ねるごとに、なんだか全員すべからく1回は負けとこう、
みたいな、妙な空気になってくる。

で、そんな空気をしっかり読んで、がっつり負ける。
で、がっつり一気飲み。
で、割と吐きそうになる。
いい歳して、激しい運動の後に、アルコールを摂るべきではない。

その後は、だらだらとトークをしたり、歌を歌ったり。
ブータンの伝統的な歌を披露された後、
「ほら、お返ししなきゃ」という無茶振りが聞こえる。

そういう展開ですか、そうですか。
まさかの初対面の人たちの前で、「天城越え」熱唱。

またしてもガン見してくる周囲の散歩客。
いいさ、好きなだけ見るがいいさ。

それにしても、アカペラで歌詞も見ずに、
「天城越え」を歌い切れる自分もどうかと思う。

旅の恥はかき捨て。
違うか。

12:00 | fujiwara | 42.隠し切れない はコメントを受け付けていません

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