彼岸を過ぎて数日、ようやくとれた休みを使って温泉に行くことにした。
都内では正月も盆もない。まして、サービス業ならなおさらだ。
先週の大型連休は物凄い人出だった。上階で開催していた物産展の開催もあって売上もあがったが、疲労もかなり溜まっていたのだろう。そう零すと、先に休暇を取っていた同僚がおススメだという旅館を教えてくれた。聞き覚えがあるから、きっと有名な宿なんだろう。ダメ元で電話してみたら、平日ということであっさりと予約が取れた。
どこにも行くつもりはなかったが、これも何かの縁なのかもしれない。
温泉地へ向かう電車はのどかな田園風景を貫くように続いていた。まだ刈り取られていない稲が柔らかな薄茶色に色づいていて、風が吹くとふわりと揺れた。どこまでも続く黄金色と、遠くに混じる山の緑。田舎を持たない俺はそれだけでも珍しくて、持ってきた文庫本を一度も開かずに外をぼんやり眺めていた。
旅行なんて、いつぶりだろう。
「あなた、全然連れて行ってくれなかったもんね」
瞬きすると、目の前に座っていた妻が呆れたような顔をしていた。お気に入りのニットとワンピース。確かにどこにも連れて行かなかったな、と思いながら仕方ないだろうと言った。妻の仕事とは休みが合わない。いつもそれでケンカになった、と俺は景色を眺めているフリをした。
「見事なもんだなあ」
そうね、と妻は言う。一緒に車窓を眺めていると、ずいぶん前からこうやって旅をしているような気がした。現金なものだ。今朝まで、高層ビル群がどこにいても視界に入る場所にいたのに。
「あ、見て見て。あれはなに?」
指さした先には赤い色彩が群れるように固まっていた。燃えるような色彩が、黄色と緑の中で目立って点在している。田圃の脇に植えられているのが、稲の額縁みたいにも見えた。
「彼岸花だろう。時期だから」
「ああ、そうか。お盆もとっくにすぎちゃったもんね」
そうだよ、と答えてから、かすかに不思議な気がした。何かが頭の隅に引っかかっている。
「おまえ、盆の時って家にいたか?」
「いたわよ。あなた気付かなかっただけじゃない」
心外だ、という顔で妻は俺を軽く睨みつけた。そうだっただろうか。疲れのせいか、どうもぼんやりしていけない。最近、妻と顔を合わせてすらいなかった、とまた反省の種をひとつ思い出した。妻はそんな俺をしばらくジト目で見ていたが、呆れたように首を振った。
「ホントにしょうがない人ね。どうせ、ここのことだって覚えてなかったんでしょ」
「温泉の話か?」
「そうよ。結婚したばっかりのころ、予約までしてキャンセルしたことあったの、忘れたの?」
確かにそんなことがあった。働き盛りのころで、売上が目標に足らなかったので休みを返上したときのことだ。あの時も妻は相当怒っていたが、そのうち許してくれた。男の人は仕事が大事だからと、諦めたような顔で。その表情は何度か見たことがある。こんな風に約束を忘れたとき、勝手に予定を決めてしまったとき、そして、病院で俺がギリギリ臨終に間に合わなかったときにも、同じ顔で。
「お前、……ついてきたのか?」
「うん。だってあなた、お盆にも会いに来ないんだもの」
涼しい顔で、妻は言う。
電車はたった二人の乗客を乗せて、音もなく田園の中を滑っていく。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
彼は、本当におとなしい男の子だった。
子どもはうるさいもの、走り回るもの、いうことを全然聞かないもの。赴任する前に散々聞かされていた多くの話は、少なくとも彼には全く当てはまらなかった。何かを壊したこともなかったし、休み時間でさえ大きな声を出すようなことは一度もなかった。
彼は私が勤めていた民間学童施設のヘビーユーザーだった。
ここはフルタイムで働くワーキングマザー向けの施設で、夜22時まで対応可能であることを最大の売りにしている。
とはいえ、都心に近い施設のお迎えのピークは21時頃で、閉館時間ぎりぎりまで残るのは彼ひとりだった。
二人きりになると、私たちはいつも縫いぐるみでごっこ遊びをして過ごした。お父さんとお母さん、先生と子ども、美容師さんとお客さん。
ロールプレイングをするときの彼のお気に入りはくたくたのウサギの縫いぐるみで、靴を脱ぐとすぐにおもちゃ箱からそれを持って来るのだった。
「そんなに気にいったんなら、その子、あげようか?」
彼は、私の提案に驚いて顔をあげた。そんなことしていいの?と言わんばかりに目を見開いて、手の中のウサギと見比べる。大丈夫だよ。頷いてあげると紅潮した頬で抱き着いてきた。本当はそんな権限は私にはなかったのだが、沢山あるうちのひとつくらい、どうせバレないだろうと思ったのだ。
けれど、昨日母親に連れられて帰った彼はウサギを持ち帰りはしなかった。いつもと同じ場所に、ウサギは耳をたれて座っていた。彼がそう座らせたとおりに、小首を傾げたポーズで。
「なんで連れて帰らなかったの?」
「……せんせい、ぼく、男の子だもん」
夕方、靴を脱いだばかりの彼を捕まえて聞いた。彼ははぐらかすように笑うと、いつも通りウサギを自分の椅子のそばに迎えに行きながらそんなことを言う。なんだか大人ぶった言い方だなと思った。大体、妙に声が低くなっている。言いたくないことがあるのかと思った。
「だからさ。男がぬいぐるみとか好きなのって、へんじゃん」
「変かな」
「へんだよ」
私が首をひねると、彼は紙パックのジュースを一息に啜った。それから、隣に置いたウサギを見て、ゆっくりと小さな手で撫でた。
「僕がこういうの好きっていうと、ママが微妙な顔するんだよね」
「なんで?」
「パパがいないから、そういう女々しいものを欲しがるのかって、前に言われた」
プリントやるね。話題を打ち切るように彼はそこで立ち上がり、学習机のほうに移動して宿題を始めた。いつもならその席に連れて行くはずのウサギは、今日はランドセルと一緒に留守番をさせられている。
取り残されたウサギの耳はぷらんと垂れて、ガラスの目玉は書き取りを続ける小さな背を見つめて鈍くひかっていた。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
夏休み最後の一日に、肝試しに行ったことがある。
言いだしたのは誰だったか忘れてしまったが、男子何人かで近所の寺に行ったのだ。今よりも夜道が暗かった頃。家を忍び出るのがスリリングで、スパイにでもなったような気分だった。
その寺を選んだのは、近所でも有名な“出る”寺だったからだ。
このとき連れだっていったのはみな昔からの住民の子で、みな墓参で勝手は知っている。出る、と言われていたのは寺の裏手、ちょうどニュータウンとの境にある場所だった。
――寺の便所に、白い服を着た女が出る。
この噂は最近になって急に出回った。んなことあるか、と反論すると、町っ子たちはお前たちは慣れてるもんなと鼻で笑った。下水道を整備した新住宅地の住民とまだ従来の汲み取り型の便所を使っていた下町っ子はなにかと反目しあっていて、これもそんな対立の種のひとつになったのだ。
そこは格の高い古刹で、一時は地域一帯を檀家とする裕福な寺院だった。先代の住職が亡くなった後に不幸が続いて、なんとはなしに験が悪い感じが子供ながらに感じられた。雨に穿たれた墓石が並ぶ一角は昼間でも薄気味悪く、墓参でも奥のほうには立ち入らない。その裏手に便所があったのだが、よほどのことがなければ好んで足を踏み入れたい場所ではなかった。
けれど、町っ子にバカにされるのは癪に障る。
あのとき参加した子供たちは、みなわたしと同じような義憤に駆られていたのだろう。恐怖心を隠して寺に赴き、ほらなにもいないじゃないかと言いあいながら問題の一角に足を踏み入れた。
便所は屋根付きで、長く伸びた庇が黒々と影を溜めている。見えてはいるのだし、えいやと行けばいいのだけれど、わたしは足がすくんで動かなかった。弱虫、と後ろからついてきた友人に抜かれた。やつは足音高く便所に向かって走っていき、そして、急に大きな声を上げた。
「逃げろ!!」
え、と思う間もなく、みなてんでばらばらに駆け出した。その背を追い掛けるように、きいいいいと高い悲鳴が伸びた。動けなかったわたしは出遅れて、確かに動く白いものを見た。男か女かは分からない、真っ白いかたまりが、便所の中の闇でうごめいている。口から、声にならない悲鳴が漏れた。
「ゆうれい、……」
では、なかった。そのかたまりは悲鳴を上げられて自分でも驚いて、そこからまろび出てきたのだった。そこにいたのは自分とそう年恰好の変わらない、白い寝巻を着た男の子だった。足もちゃんと二本あった。ただし、普通ではなかった。顔の半分が、夜目でもはっきり分かるくらい青あざで変色していたのだった。
「だれにもいうなよ」
その子は尻もちをついたわたしを見降ろして、ふらふらと墓地の中を町のほうへ歩いていった。わたしは呆然とそれを見送り、それから慌てて駆けて家へ帰った。
数年後、わたしの生家の近所で母親にきつく折檻されていたという子供の死亡が報じられた。錯乱していた母親に殴る蹴るされ、食事が与えられないこともざらだったという。知人のいない住宅地で孤立していた母は、子どもを殺して、自分も死んでしまったのだという。
わたしはまだ、このことを誰にも話したことがない。
話していたら、何か変わっていただろうかと、時々思う。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
色づいた鬼灯をみると、夏も終わりなのだと思う。
と言っても、まだまだ残暑は続く。花屋で買い求めた一対の花束を下げて歩くと、たちまちのうちに首に汗が噴き出てきた。
あの日も暑かったと思いながら水を汲み、からからに乾いた境内を進む。既にお迎えの用意をすませた家もあれば無残にも草が生えるに任せている家もあり、いちいち気にしながら一番奥まで進んだ。
夫の眠る墓所は綺麗だった。
先に手入れをしてくれたのだろうと思い、わたしはありがたく花だけを変えた。この人が家族に大事にされていることが、嬉しかった。
結局、半年足らずの結婚で終わった人だった。
形ばかりの式を挙げたあと、三月ばかりで身ごもった。夫はそれをとても喜び、まだ膨らんでもいない腹を撫でて話しかける真似もした。まだ若いのに禿げていて、笑うと顔中がしわくちゃになって、日に焼けてひょろひょろした腕でしっかりと抱きしめてくれる人だった。
わたしは、結婚までは話もしたことのないこの男と、ずっと前から一緒に住んでいるような気になっていた。
でも、夫はそのあとすぐに召集されて行ってしまった。
寂しかったが、仕方なかった。そういう時代だったし、我が家はむしろ遅いほうだったのだ。
敗戦から二日後、夫は死んだと葉書が来た。この家は帰還してきた弟が継ぐことになり、わたしはその弟とつがうことを求められた。それを拒んで、婚家を出された。子どもはとられた。弟は体が不自由になっており、子をつくることは難しかったからだ。
それでも、耐えられなかった。仕事さえ選ばなければ女一人食べていくことなどどうとでも出来た。
火をつけたばかりの線香の煙が目に沁みる。
今年も行先を告げずに出かけて来たが、行先などきっと気付いているだろう。かすかな裏切りのように思いながら、わたしは毎年ここに来ていた。
でも、迎盆のまえに来るこの習慣も、今年できっと終わりになる。足が急に弱くなり、この墓所への坂道を上るだけでめまいがする。バスを使うことすら、だんだんに苦痛になってきた。
当たり前だ。
もう、この人の死んだ歳の、三倍以上生きている。
(ごめんね)
手を合わせる。この夫とは違う相手と結局は連れ添ったことを、わたしの入る墓がここではないことを、詫びる。寂しい想いをしているかもしれないが、たぶんこの人は許すだろうと思う。そういう時代だったから。わたしが、結局は一人で老後を暮らすことは出来なかったことも。
あのとき生まれた子供も、もう還暦を越している。おそらく妻も娶り子をなして、幸せな家庭を作っているのだろう。
この墓を守っているのはわたしが捨てた家と子どもたちだ。
雑草一つ生えていない、この墓所を維持するのは並大抵ではあるまい。
この人は大切にされているのだ――そう思いながら、わたしはまた手を合わせた。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
梅雨時の庭は、かすかに土の甘い、重たいような匂いがする。
外出せずに済む幸いを喜びながら、わたしは小さな縁側でひとりで雨の音を聞いている。義父が丹精した紫陽花の花は今が満開だ。淡い紫から藍色、そしてやわらかな桃色の花。
張り巡らせたブロック塀に沿って咲き誇る小さな花のかたまりを、霧雨が音もなく濡らしていく。
夫がいなくなったことについて、直接的に詮索してくる人はいなかった。
離婚したの?と遠慮がちに聞かれたのは、出て行ってから半年後くらいだったろうか。「義理のお父さんと二人なんて大変ね」と言われることも少しずつ減り、わたしたちを本当の親子と勘違いしている人のほうが増えた。
もともと、夫より義父のほうと馬があっていたこともあり、同居はほとんどわずらわしさがない。
見合いで娶ったわたしのことを、義父はいつも丁寧に名前に“さん”をつけて呼んだ。
夫はぞんざいに呼び捨てにしており、義父にもそうしてくれと言ったこともあるけれど、義父はかたくなにその言い方を変えなかった。
夫の浮気が発覚したのは、いなくなるひと月ほど前だった。わたしより三歳下の相手には、おなかに子供もいるという話で、離婚したいと切り出されたときは頭の中が真っ白になった。なぜ、どうして? 呆然とするわたしに代わって義父は夫に怒鳴りつけ、叱り、泣き、最後には思いなおせと懇願してくれさえした。そして、数回にわたる怒鳴り合いと消耗するだけの話し合いをへて夫が姿を消したとき、二人して虚脱感に笑ってしまった。
すまないねと言った義父が、なんだかひどくいとしく思えた。
実家に帰ろうとは思わなかった。そして、義父も当然のようにわたしがそこで暮らし続けることを受け入れた。再婚を促されたこともあったが、結局離婚届を出していないことを理由にずるずると返事を引き伸ばし、そのうちに何も言われなくなった。
わたしたちは二人で暮らした。紫陽花の花が咲く小さな庭の、この家に。
義父はずっと優しかった。早くに連れ合いをなくした人特有のもたれかかるような人懐こさと、なさぬ仲だからと引く一線が違和感なく同居した姿勢のまま、わたしに囲碁を教え、毎日のように碁盤を囲んだ。二人とも好きな作家の本は必ず義父が発売日に手に入れ、読み終えると回してくれた。
本当は、わたしは義父と結婚したのかもしれない。
そう思うほど、それは幸福な時間だった。
その義父が死んで、初めての夏が来た。
生前言っていた通り、紫陽花の花はだんだんその色を変える。薄い青、紫がかった藤色、そして今年は桃色に色づいた株の下に埋めてあるものにまだ誰も気づいていない。七年、と聞いた。その七年は義父とずっと一緒に過ごすと思っていたのに、義父はわたしを置いて逝ってしまった。
その灰をまいた株も、今年はまだ青い花を満開に咲かせている。
霧雨はいまだ止みそうになく、わたしはひとりで縁側の庭を眺めている。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。
ポストを見るのはただの習慣だった。
大体、集合住宅のポストなんてごみ箱みたいなものだ。入っているのはチラシだけ。だから見ない、という人が多いのだろう。その証拠に、隣のポストは入り切らないチラシがはみ出ている。
今日もポストに入っていたのは分譲住宅の完成披露会のお知らせと新しく出来た美容院のお知らせと、……小さく折りたたまれた便箋が一枚。
明日は飲み会の前に本屋に寄ろうと思いながら、私は便箋を鞄の中に滑り込ませた。
知り合ったきっかけは些細なことだった。
下の階に洗濯物を落としてしまったのを、彼女が拾ってくれたのだ。
本当は直接渡したかったようだったが、私は夜の帰りが遅い。よほど悩んだのだろう、彼女は数日後にシャツを預かっている旨の手紙をポストに入れてくれていた。
休日、添えられた連絡先に電話を入れると、私は招かれて彼女の家にお邪魔した。同じ間取りとは思えないほど彼女の部屋は小奇麗に片付いており、喫茶店のようなカップで供されたお茶はなんとも優雅な味がした。
「呼びつけてごめんなさいね。でも上と下で近いし、どんな人が住んでるのか知りたくて」
彼女は年齢よりもはるかにチャーミングなしぐさで謝り、手作りだというクッキーをご馳走してくれた。そして、思いもかけないことに彼女は相当な読書家だった。整然と並んだ書架につられるようにどんどん話は伸びてしまい、薦められるままに本を借りた。
帰り際に渡されたシャツは再度洗濯しておいてくれたらしく、うちとは違う柔軟剤のにおいがした。
その後、お礼もかねて私は紅茶の葉を買い、手紙と借りた本と一緒に彼女の部屋のポストに入れた。彼女は喜んで返礼の手紙をくれた。そして新しく買った本の話も。
「読書が偏っているから、感想の話し相手に飢えてるの」
「分かります。読書家とか言うから振ってみると、漫画の話だったりして」
「漫画もいいけど、わたしの好みではないのよね」
あなたもそうじゃない? と彼女は言い、私も同感だったので頷いた。
読ませたい本があるとき、彼女はわたしに手紙を書いてよこす。彼女のセンスは自分と近しかったから、薦められるものはたいがい好みに合ってありがたい。ただし、彼女が本を買いに行くペースはさほど早くなかったから、手紙のペースも月に1回くらいにとどまっている。私のほうも筆まめとは言い難いから、この頻度は望ましく、と切れることなく続いている。
彼女と手紙を交換するようになって、私はポストを見るのが楽しくなった。
ごみ箱みたいになっているポストばかりで、一番恵まれているのはうちのポスト。
冗談めかして彼女に言うと、彼女は大げさに手を振って否定した。
喜んでいるのは、うちのポストじゃないの? って。
手紙には、お互いファンの作家の新刊の話が書いてあった。
私はお気に入りの便箋を出して、彼女に返事を書き始めた。
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携帯を忘れてきてしまったことに気付いたのは、電車に乗ってからだった。
取りに帰ろうかと一瞬考えたが、すぐ辞めた。リュックには必要最低限のものが入っているし、せっかく座席が空いて座れたばかりだった。この電車は本数が少ない。
5月の車窓はうららかだった。平日の午前中だというのに著名な観光地を通るこの路線はそこそこ混んでいて、前方の高校生らしき制服の集団がきゃらきゃらと明るい声を立てている。目をつぶってさえ帯状にさしこむ光が頬に感じられ、心地よい揺れが眠気を誘った。
この時間の電車に乗るのは久しぶりだった。初めて乗ったのは、中学校の修学旅行だったと思う。あの時は、自分がまさかまたここに来たくなるとは思わなかった。子供の眼から見ても富士山は壮大だったが、登山のつらさに辟易した帰り道は筋肉痛がひどくて振り返るのも嫌だった。
その次は、夫と付き合い始めたころだった。
東北出身で富士山を見たことがないという夫は、車窓に張り付いていつまでも山の姿を追いかけていた。凄いな、大きいな、と当たり前のことにはしゃぐ夫の姿は少し気恥ずかしかったけれど、同時にほほえましくも感じた。
車窓から眺めるだけに終わったから、今度は登りたいと夫は珍しく駄々をこねた。
山小屋に泊まりたいとか、ご来光を山頂から見てみたいとか。
「そのうちね。今登ったりしたら、わたしのほうが倒れちゃう」
「そうかぁ……でも、絶対だよ。富士山への執念なめんなよ」
念を押すように凄んでみせて、夫は約束だと何度も言った。
実際、夫は登るつもりであるらしかった。登山の専門雑誌を買ってみたり、さり気なく新しいリュックが欲しいとねだってみたり。
そのうちね、そのうちね、といなしている間に、とうとう6年経ってしまった。
車内アナウンスが乗換駅を知らせている。リュックを持って立ち上がり、騒めきだした集団の最後尾についた。かたん、と電車の揺れでリュックの中も揺れた。どきりとしたが、きちんと封をしてきたはずだ。大丈夫、と言い聞かせて手すりを持った。
そういえば、おとぎ話ではあの山の頂上で薬を燃やしたんだったっけ。
かぐや姫だ、と山の姿を眺めながら思いだす。この話も夫から教えられた。帝も登った山なんだよ、と得意そうに夫は話していた。
痩せた頬で、チューブを突っ込まれたままの鼻をひくひくさせて。
「俺も死んだらさあ、富士山で焼いてほしいなあ」
「なんでそんな縁起でもないこと言うのよ、バカ」
「いや、むしろ縁起よくない? 天に届くようになんて、愛じゃん」
ピリピリしているわたしより、その頃の夫はむしろおおらかだった。愛してるよー、と毎日アホのように繰り返すものだから、看護婦さんにからかわれるくらいだった。
そして妻としてしかるべき儀式を終え、手続きを済ませた際に、わたしはそっと夫の骨を持ち出した。骨壺に収めるべき灰の量が少なかったことは葬儀屋さんも気付いたかもしれない。でも、見逃してもらえた分を持って、わたしは今日ここに来た。
今日は登山日和だ。わたしは今から富士山に登り、山小屋に泊まる。夫と二人で。
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俺の一日は単調だけど波乱万丈だ。
先日からのぎっくり腰が治って出勤するやいなや、挨拶もそこそこにスタッフルームに引っ張り込まれた。
主任は年の割にはまあまあ美人と呼んでもいい部類だけど物凄く口が悪い。スタッフ限定ではなくて全員に対してまんべんなく罵詈雑言を吐くタイプだ。二人きりは全然嬉しくない。むしろ毒舌が増えるサインだ。何を言われるんだろう、と俺はひっそり身を固くした。
「あのね。君、あの二人に何を言ったの」
……は? 本気で意味が分からずぽかんとしていると、主任は物凄く面倒くさそうな顔でほんの少し開いた扉から見えるレクリエーション室を顎で示した。
確かにみほさんとゆうこちゃんが見える。
二人とも明るいパステルカラーの服を着ているのが違和感と言えば違和感か。ちょっと歳も離れてるし姉妹みたいに仲もいいから、お揃いの服を着てたっておかしくはないけど、今までの服の好みとは全然違う。
首をひねっていると、主任は深い深いため息をついて「誕生日のこと」と付け足した。
「二人とも君がいない間に歳を取るのがいやだって」
あんた色気づかせるようなこと言ったんでしょ、なんていうからめっそうもないと首を振った。
振ってから思い出した。腰を痛めたのはみほさんをお風呂に入れているときだったな、って。
「君に見せるんだってわざわざ髪型まで変えたのよ? 何考えてるんだか」
そういえば二人の誕生日は五月の頭だ。合同の誕生日会をしたから覚えている。
その後で、お風呂の準備をしている間に二人と雑談をしたのだった。
話題は、俺の彼女についてだ。いないっすよ、と言ったらどんな子が好きなのかと聞かれたから思いつくままに応えた。明るい笑顔の子がいい、髪は茶髪がいい、パステルカラーの服が似合う子がいい……その場で適当に言っただけのことだ。
その後でみほさんを抱きかかえたら、体勢を誤って腰を痛めてしまったのだけど。
「まあいいわ。責任取ってどっちかと付き合いなさい」
え? 押し出されるようにして室内に押し出されると、二人が揃ってこちらを見た。
なんか、妙にきらきらした目で。あれ、もしかして髪も染めたのか?
「おかえりなさい。みほさんのせいで大変だったね」
「おかえりなさい。帰って早々、ゆうこったら本当に嫌味」
取り囲まれている俺を、男性である佐久間さんがにらみつけてくる。佐久間さんはゆうこちゃんに告白して先月振られたのだ。そして俺には急に厳しくなった。主任には猫なで声なのに、だ。
「ねえ、みほさんみたいなおばちゃんよりわたしのほうが可愛いよね」
「ねえ、ゆうこみたいな小娘よりわたしのほうが可愛いよね」
いや、お二人とも未就学児だしそんなどっちもどっちだよ…と思いつつ、笑顔を作って二人の頭をなでた。それから、おそらく何の解決にもならないことをつけたした。二人とも可愛いですよ、って。
「そんなの嘘!」
ほら、ユニゾン。仲いいなあ、と感心しつつ、今日日の幼稚園児ってませているって実感する。
俺が子供のころは、園児で付き合うも何もあったもんじゃなかったけどなあ。
今はどうもそうではないらしい。この園内で恋人が出来ないのは佐久間さんと俺だけだ。でも、今はある意味モテ期。どっちが可愛いのよ、と口をとがらせてくる女たちに囲まれてはいるのだけど、これじゃ彼女じゃなくて女王様だ。
とはいえ俺は、女王様たちに仕える仕事。
どっちが可愛いのどうの、なんてさえずっている女王様たちをお昼寝させるべく、俺はなんとか笑顔をつくった。
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キスをしたとき、真っ先に思ったのはやっぱりレモンの味なんかしないということだった。
もちろん、意外なほどに柔らかいくちびるの感触や漏れる息遣いにはドキドキしなくもなかったけど、思いのほか冷静な自分にかえって引いてしまったくらいだ。クラスメイト達の話す、初々しい緊張や興奮を味わいたくて深追いしたら、相手から苦しそうな顔で咎められた。
あとで初恋がレモンの味だというのはイメージの問題で、ましてキスの味ではないという誤解を正されたが、たぶんあの瞬間、私は傷ついていたのだと思う。
うっすら気が付いていた通り、自分の彼への想いの浅さを指摘されたような気がして。
高校生になると、付き合っている相手がいるかどうかがステイタスの基準だった。
もちろん、相手のランクによって自分のランクも変動する。相手が大学生かどうか。学校名はどこか。車を持っているなら車種、型式に至るまで無言のうちに仕分けられ、好きかどうかは別として恋人と呼べる存在がいることが高校生活の過ごしやすさに大事な要素となっていた。
私はその例に倣い、恋人を作った。
二人で過ごす時間が長くなれば情もわいて、恋していると自分で錯覚するようにすらなった。
でも、そんな小賢しい私に恋人は不満を持っていたようだ。別れ話を切り出されたのは、大学進学を控えた春のことだった。
「他に好きな人がいるんだろ?」
年上の彼は、そういって私を責めた。違う、と言っても聞き入れなかった。
「俺のこと好きじゃないだろう。そんなんで、この先ずっと一緒にいられると思う?」
私は答えられなかった。レモン味でないキスをした彼はそうして私のもとを去っていき、大学に進学した私は親しい人を作らずに終わった。
不安だった。一生このまま好きな人も出来ずに終わるのではないかと。
友人の結婚式に出るたび、“この先ずっと”を約束している二人が眩しくて目をそむけた。
それを約束できる相手を持てない自分が、なんだかとてもみじめなもののように思えた。
就職して、はじめて打ち込むものを得た。仕事だ。
いそがしい仕事だったが、それが原因なのか同僚はみな独身だった。
見てくれも中身もいいのに、仕事にとりつかれたように働いているものたちに立ち混ざって、私もよく働いた。楽しかった。充実した。恋人を作ろうとすら思わないほど、一人の時間は色々な予定で埋め付くされた。
「こんなんじゃ結婚なんてできないよねぇ」
同僚はそんな風にぼやく。ボヤキながらも頬が緩んでいる。
差し入れ、と飴を渡され、私も頷きながら自分の手元に目を落とす。お互いに今日中に返信しなければならない仕事を抱えている。
「仕事と結婚したみたいなものだねえ」
「まったく。嫌になるね」
口ほどにはそうでない顔で私たちは笑い、それぞれの仕事に戻る。静かに興奮しつつ、高揚した気持ちを抱えて。
口の中の飴は、期せずしてレモン味だ。
仕事に恋をするのも、たぶん、そう悪くない。
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早く、早く、早く。
時間には十分余裕を持って出た。だから本当は急ぐ必要なんてないんだけど、体が胸からどんどん前に進んでいく。倒れるように。押し出されるように。
改札をすり抜け、階段を駆け上がり、ちょうど来た電車に滑り込んで息をつく。
イヤフォンからは最新アルバムの収録曲がエンドレスで流れている。
少しかすれた高音、叩きつけるようなビート、メロディアスな響きのリフレイン。
――ああ、早く生で聴きたい。
バンドに嵌るなんて若い子のすることだと思っていた。
実際、わたしも高校生くらいの時に流行りのアーティストをちょっと好きになったことはある。
でもポスターを貼ったりピンナップを集めたり、そういうことはしなかった。アイドル雑誌を眺めてきゃあきゃあ騒ぐクラスメイトたちのことはバカだと思い、薄い軽蔑と共にわたしは二番目に好きだったボーイフレンドと過ごすことを選んだ。
手が届かない男を眺めてなんになる?
少しすかしたところのあったわたしには、偶像に熱中する友人はひどく無邪気で幼く見えた。
なのに、40歳を過ぎた今、わたしは子供のように胸を弾ませてライブ会場に向かっている。
自分へのプレゼントと称して買った新しい服と靴で、やっと当選したチケットを握りしめて。
最初はまた似たようなバンドがデビューしたんだと思った。子供の歌じゃないか、って。テレビの歌番組で見たときもたいして興味は感じなかった。
子供たちも興味はなさそうだった。この人たち、あんまり売れてないんだよねと言って、すぐに携帯に視線を落としていた。
なのに、惹かれた。
ボーカルの少年の声に、意味はほぼ無い、だからこそ切実な歌に。
意外と端正なギター、一生懸命叩いていることだけが取り柄のようなドラムス、絶対に癖の強そうな性格のベースに、いつの間にか目を奪われていた。
似ていた。あの頃、好きだった人の声に。
似てる、似ている、そう思いながら聞いていたら好きになってしまっていた。幼さの残る歌声。どこか必死そうなメンバーの子たちの生き急いでいる感じ、どこまでも行けるところまで行きたいとむずむずしているような仕草も。
CDも全部買った。ファンクラブにも入った。彼らが乗っている雑誌は些細な記事でも全部買い集めた。我ながら痛いと自覚しながら、それでも止められなかった。
あの頃の自分が、あの頃自覚しながら手が届かなくて諦めた恋が戻ってきたような気がして。
ドアが開いて、娘のような年頃の女の子たちに混じってホームに降りる。
いくつもの階段を上り下りして、人込みの中を音に押されて小走りで歩いて、会場についたときには呆然として見上げてしまった。
ああ、ついに来た、と思った。
勘違いだなんて分かっている。これは恋じゃないし、そうだとしてもかつてのわたしが戻ってくるわけではない。でも、それを楽しむのは、自由だ。
だって、耳元で初恋の彼に似た優しい声が、灼熱の恋をしようと歌っている。
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